編集長コラム

障害者スポーツのおもしろさを求め、現場へ

第51回 2020東京パラリンピックのレガシーとは?

64年東京パラリンピックの17年後、第1回大分国際車いすマラソンが開催された 10月、東海道新幹線50周年の行事が様々なところで催されました。その際、必ずと言っていいほど、1964年の東京オリンピックの話題や写真が見られました。2014年は、64年に開催された東京オリンピック・パラリンピックから、ちょうど50年というメモリアルイヤーでもあったからです。
(写真:64年東京パラリンピックの17年後、第1回大分国際車いすマラソンが開催された/写真提供: 社会福祉法人太陽の家)

 新幹線や首都高速道路、羽田空港からのモノレールなど、64年に行なわれたインフラ整備は、東京オリンピックのレガシーとして、日本の社会を支え続け、経済発展に寄与したことは周知の通りです。では、そのオリンピックの1カ月後に行なわれた東京パラリンピックで残されたレガシーは、という問いにどのくらいの人が答えられるでしょうか。

 先日、あるイベントで50年前の東京パラリンピックでボランティアをした方の体験談を聞く機会がありました。その方は、当時大学生で、東京パラリンピックでは日本人選手の介助をしたり、英語が堪能だったので、通訳として外国人選手の話を日本人選手に伝えることもあったそうです。彼女によれば、当時の日本人選手は同じ障がい者であるはずの外国人選手の言動に、大きな衝撃を受けていたというのです。


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伊藤 数子(いとう かずこ)

挑戦者たち編集長
/NPO法人STAND代表理事

新潟県生まれ。1991年に車いす陸上を観戦したことがきっかけとなり、障害者スポーツの振興に携わるようになる。未来に向けて次代の選手・ファンを拡げていくために、障害者スポーツのスポーツとしてのおもしろさを伝えるウェブサイト「挑戦者たち」、障害者スポーツ競技大会のインターネットライブ中継「モバチュウ」、障害者スポーツ体験会などの事業を企業・団体と協働で展開している。2012年ロンドンパラリンピックでは日本選手たちの挑戦を伝えるウェブサイト「The Road to London」を開幕1年前に開設した。著書に「ようこそ、障害者スポーツへ -パラリンピックを目指すアスリートたち-」(廣済堂出版)など。

ロンドン2012パラリンピック 日本選手たちの挑戦 「The Road to London」

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