まず、スキー女子会にどきどきしながら初めて参加。
難しい斜面に挑む20代の頃の気持ちが心の底から蘇ってきます。その頃の感覚も映像も。しかし、それはいけません。"そんなことをするなら行ってはいけない"と禁じました。行きの新幹線、途中休憩でのビールも封じます。ファミリーゲレンデで、慣らしながらゆっくり、と。出発までの準備も入念に。前日にパッキングも済ませて、禁酒。そして早寝で睡眠時間を確保。「大谷翔平みたい」などと言いながら、10時間睡眠をとりました。
明けて当日。すっきり目覚め、体調がいい。そこで、さらに自らを戒めます。"骨折などしたら、大変なことになるぞ"と。とにかく、無事に帰宅することをイメージするよう自身に命じました。
さあ、30数年ぶりの真っ白なゲレンデに到着。「わ~っ! ついに来たんだ」......。
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新年を気持ちよく迎えるはずのこの日、熱・頭痛・喉の痛み・咳......オールスターがそろって襲ってきた。
今年は身体を動かす機会を増やすべく、1月から30年ぶりのスキーなど、いろいろ計画していたのに。とてもとてもスポーツなんてする気が起きない。
診察室に入り、「元旦からすみません」と、思わず私。当番で忙しくしていらっしゃる医師は朗らかに笑ってくれました。
診察の結果、インフルエンザ。5日間外出禁止。実は生まれてこの方、罹患したことがなく「私、インフルエンザにはかからないんです」と豪語していました。だから予防接種は打っていなかった。今になって、とてもかっこ悪く、みっともなく、恥ずかしく思います。
2日目の夜は、喉が痛くて眠れません。このまま私の声が出なくなってしまったらどうしよう(カラオケとか、どうしよう)、と夢うつつの中で絶望しました......。
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お陰様でスポーツの真ん中だけではなく、パラスポーツに関わったことを活かした活動にも多く参画させていただくことになりました。私にとって、まさに挑戦です。
その挑戦のひとつが、自治体から拝命した「インクルーシブ教育アドバイザー」です。
新しい分野に私は張り切って勉強しました。ある日、国際バカロレア(IB:International Baccalaureate)認定校におじゃまする機会がありました。
<国際バカロレア(IB)は、多様な文化の理解と尊重の精神を通じて、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する、探究心、知識、思いやりに富んだ若者の育成を目的としています>(文部科学省IB教育推進コンソーシアムウェブサイトより)
そして、校内のいたるところに「IBの学習者像」、10の人物像のポスターが掲げられています。
探究する人、コミュニケーションができる人、信念をもつ人......など。10項目それぞれに、元々の英語も併記されています。
その中で、ハッとするものがありました。
「挑戦する人 Risk-takers」......。
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講師に上原大祐さん(パラアイスホッケー バンクーバー2010パラリンピック 銀メダリスト)を迎えました。
参加した小学4年から6年生の児童に、上原さんは「みんなと友達になるんだから、"大ちゃん"って呼んでね」と語りかけます。
「チームワークの大切さ」「やってみていないことと、できないこととは違う。やる前から諦めないでやってみる、チャレンジが大切」というお話を聞きました。上原さんの言葉、そしてパラスポーツ体験から、たくさんの気づきを得ることができました。
実は、ここ黒埼南小学校での開催は4年前に続き、2回目なのです......。
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さて、この大会をご存じの方はどのくらいいたのでしょうか。
2年前、東京パラリンピック開催中は、パラスポーツを見聞きし、触れる機会が多くありました。
「見た見た」
「すごかった」
「かっこよかった」
「激しかった」
「エキサイティングだった」
「戦略的だった」
「感動した」
私は様々な感想を耳にしました......。
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車椅子スポーツのイベントで一番ハードルが高かったのは、体育館探しでした。
STAND設立のきっかけとなった電動車椅子サッカーの活動場所は、所謂「障害者高齢者体育館」でした。だから車椅子スポーツで使用できたのです。他の体育館が使用できないことを知る由もありません。しばらくして様々なパラスポーツイベントを各地で展開しようとしたとき、このハードルのことを知りました。
曰く「床が傷つくから使用許可が出ない」と。
2013年、東京パラリンピック開催が決定し、直後からパラリンピック、パラスポーツの認知度は上がり、パラスポーツのイベントが各地で賑やかに行われました。わたしは、パラリンピックが社会変革活動で、こうして社会が変わっていくんだと、実感しました。"スポーツ施設は、障害の有無に関係なく開かれたものとなっていく"と......。
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先日も大いに盛り上がっていたところ、ある方がこうおっしゃいます。
「私は●●●(カープ以外のプロ野球チーム名)がきらいなんじゃないんや。●●●のファンがだいっきらいなんじゃ~!」
お聞きしてみると、あるゲームでのこと。●●●の相手チームのピッチャーが打ち込まれ、交代となりました。すると、マウンドを降りるピッチャーに対し、「さよなら、さよなら●●(相手の投手)」のコールを続け、その後、『蛍の光』を歌い出したと。
それを聞いて、胸が痛くなりました。
またこんなお話も。
「リードしたまま最終回2アウトになると『あと一人、あと一人』とコールするんじゃ。わしゃ試しにカープが同じ立場だったとき『あと一人、あと一人』と声を出してみた。でも、カープファンは誰一人続いて来んかった。これぞカープファンの矜持や。そういうところ、大好きなんじゃ」
ここまで聞いて、胸が熱くなりました......。
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2003年の夏、暑い日が続く中、初めてのパラスポーツ大会ウェブ生配信の準備をしていました。まだSTAND設立前のことです。
この年の電動車椅子サッカー北陸大会は金沢で行われ、「金沢ベストブラザーズ」が優勝、大阪で開催される全国大会に駒を進めました。
ところが、医師の指導で遠征できない選手が......。「なんとか彼に試合を観てほしい」という一心で、当時まだなかったウェブでの生中継を企画しました。
今から20年前、携帯電話にテレビ電話機能が搭載されたばかり。NTTドコモさんの協力を得て、準備を進めました。携帯電話のテレビ電話機能を使用し、専用ウェブサイトを開設しました。実験をすると、映像はカクカク、コマ落としのようでした......。
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コラム掲載後、反響があり、ご賛同のメッセージをいただきました。
体育館の張り紙については、「こんなのもあるよ」という意見も。
●ゴミ、吸いがら等は各自持ち帰ること。
●トイレは清潔に利用すること。
こうやって、わざわざ書かれると、げんなりするし、そんなことまで言わなきゃできない人がいるのかと思うとがっかりする、と。
●その他、トレーニングルーム内にある注意事項を守ってご利用ください。
●器具・備品の取り扱いには十分注意してください。
●ドアに手指を挟み込まないようご注意ください。また、ドアを勢いよく開閉しないでください。
免責のためとはいえ、ここまで注意書きが必要かと思わされます。
利用する人が、施設や道具を大事にし、他の利用者への思いやりを持ってすれば、こういった張り紙は不要。ただ現実はそううまくはいかないとうことも理解できますが......。
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当然のことですが、体育館にはそれぞれ利用規約があります。利用申し込みにあたって誓約書にサインをする体育館もあったように記憶しています。
調べてみると、多くの体育館の利用規約に、ここ数年はコロナに関しての記述で「利用後は速やかにお帰りください」「試合終了後は練習を行わず、速やかにお帰りください」と、ありました。感染への注意喚起を規約に載せ、利用後の滞在を禁じています。コロナの状況下において、「規約」として記載することは理解できました。
では、この体育館入口のこの張り紙はどうでしょう...。
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全身の中で、指先だけがほんの少し動く牧野勇樹選手(マッキー)。コロナで3年間練習がほとんどできなかったので、さらに可動域が減ってしまったといいます。そこで、そのわずかな動きでマシンを操作できるように、複雑に工夫を凝らした手づくりの操作レバー。マッキーはこれで戦います。
当日の体育館は気温が低く、スタッフはマッキーの指先をカイロやドライヤー、マッサージで温めます(写真)...。
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私たちが開催した車椅子バスケットボールの体験会では、こんなことがありました。
講師はパラリンピック4大会連続出場中で、東京パラリンピック銀メダリストの宮島徹也さん。体験会に参加したある小学生は、日常車椅子を使用していて、この日が初めてのバスケ体験でした。その少年はとにかく夢中でプレーしていました。楽しくてしょうがないといった様子。体験会が終了しても、バスケ用の車椅子から離れようとしません...。
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理由は三つ。どれも「いまいち」と言えばそれまで。しかし、理由などどうでもいいのです。
①こうしてパラスポーツのことをお仕事にしてから、カープ女子になり、試合を見て応援したり、秩父宮ラグビー場でボランティアチームに参加してみたりとスポーツに関わることが増えました。もちろん、パラスポーツはたくさん見て、いろいろなお手伝いをしています。スポーツを「みる」「支える」は毎日のように関わっているのですが、「する」は心許ない......。"「する」も少しぐらいやらなきゃ"という積年の罪悪感を払拭したい一心でした。
②コロナの影響で、いわゆる「飲み会」が制限され、あまりにもつまらない日々...。
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昨年、「試しに」という気持ちで始めましたが、今年は「チャレンジだ!」と気合いを入れて臨みました。
ただ、少し慣れてくると、根っからの練習嫌いがむくむくと頭をもたげてきます。心配です(笑)。
昔から、練習がきらいでした。
中学校は陸上部。夏休みの練習は、とにかくサボることばかり考えていました。一緒にサボる仲間(女子)もいました。
ある日、部活動をサボッて家にいると、陸上部の男子が数名で家にやってきました。「数子さんいますか?」。当然、母は何も知らないから「数子はいる」と答えてしまいます...。
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20年近く前、まだパラスポーツのことがあまり知られていないころ、パラスポーツのイベントは障がいのある人のためのもの、「私には関係ない」と多くの人に思われていました。私たちは、障がいの有無にかかわらず、広くいろんな人が参加してもらえる大会やイベントを進めていました。
そんな時、深い理解と絶大なる応援をしてくださったのが、当時衆議院議員の馳浩氏です
広く呼び掛けてくださり、支援者を集めてくださった。それはもうありがたく感謝でいっぱいです...。
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