サイドストーリー

vol.13 進化した「心技体」 ~車いすテニス・国枝慎吾~

「コーチ、ヒジが痛い……」――これまでほとんど聞いたことのない悲痛な声に、丸山弘道は驚きを隠せなかった。
2011年9月、全米オープン男子シングルス決勝戦。国枝慎吾はマッチポイントを迎えていた。4連覇まであと1ポイント。ちょうどその時、スタンドの最前列で観戦していた丸山の目の前にボールが転がってきた。そのボールを拾いに来た国枝が、そっと丸山に伝えたのだ。
「試合中、しかもマッチポイントを握ったこのタイミングで『痛い』だなんて……。慎吾の右ヒジは大変なことになっているのかもしれない」
丸山は“不安”と“覚悟”が入り混じった気持ちで国枝を見つめていた。

予兆は約1週間前にあった。全米オープンの前に出場した大会の決勝前日、丸山の元に1本の電話がかかってきた。国枝からだった。
「コーチ、ヒジが痛い。プレーはできるけど、ここで無理をすると、来週の全米が怖い。どうしようか……」
これほどまでに不安を口にする電話を国枝から受けたのは、それが初めてのことだった。
「残念だけど、今回は決勝を棄権しよう」
そう答えながら、丸山には嫌な予感がしていた。それが全米オープンで的中したのだ。

テニスができなかった3カ月間、黙々とフィジカルトレーニングに励んだ。今、それがいかされている。

全米オープンで優勝はしたものの、それ以降はヒジの治療に専念するため、国枝はコートを離れた。練習はフィジカルトレーニングのみ。自然と練習拠点の吉田記念テニス研修センターで過ごす時間も減り、丸山コーチともすれ違う日々が続いた。その時の状況を丸山は次のように語っている。

「あの時期はどうすればヒジがよくなるのか、答えがなかなか見つからない状況で、大きな不安の中で過ごしていました。慎吾にしてみれば、たった1カ所、ヒジが痛いだけで、他は何ともないわけですから、相当なストレスがかかっていたと思います。私もいろいろと考えてしまいましたね。『自分のやり方が間違っていたのだろうか』『自分とやってきたことで、こうなってしまったんだろうか』と。そこまで責任を感じる必要があるのかと言われれば、それはわかりませんが、そういう気持ちになったことは確かです」

年が明け、パラリンピックイヤーとなっても、ヒジの具合は一向に回復の兆しを見せなかったことで、国枝と丸山の決心は固まった。手術をすることにしたのである。もちろん、手術をしたからといって、100%良くなるという保証はない。だが、現状のままでは良くはならないことは明らかだった。ならば、可能性がある限りトライする価値はある。ロンドンパラリンピックまで約8カ月。間に合わせるには、もうギリギリの時期にきていた。

努力の末の“ケガの功名”

2月14日の手術後、約1カ月半のリハビリを経て、国枝はコートに戻ってきた。丸山の顔には自然と笑みがこぼれた。
「あの時は格別な思いがありましたね。半年以上もの間、慎吾とテニスをしなかったことはなかったですから……。コートに慎吾の姿があるという当たり前の光景が戻ってきたことに、嬉しさがこみ上げてきました。『あぁ、またコイツと一緒にテニスができるんだ』と思うと、感無量でしたね」

復帰戦は5月のジャパンオープンと決めていた。ロンドンまでを逆算していくと、それがベストだったということもある。だが、丸山にはもう一つの思いがあった。
「ジャパンオープンには多くの日本のファンが応援に来てくれるんです。慎吾はそれまで一人で孤独にケガと戦ってきた。そんな彼には多くの声援を受けることのできるジャパンオープンに出場して、『一人じゃないんだ』という気持ちになってもらいたかった。それがロンドンへのいい足がかりになると思ったんです。慎吾には言っていませんが、そういう意味でも絶対に復帰戦はジャパンオープンと決めていました」

そのジャパンオープンで、国枝は準決勝でステファン・ウデ(フランス)と対戦し、ストレート負けを喫した。その試合を観ていた丸山は「正直、水をあけられてしまったかな、と思った」という。さらに、その絶好調のウデを決勝戦では18歳の新鋭、グスタボ・フェルナンデス(アルゼンチン)が破り、初優勝した。結果を求めていなかったとはいえ、丸山は改めて金メダルへの道のりの険しさを感じずにはいられなかった。

ケガをプラスにかえ、さらなる進化を遂げた国枝。ロンドンで目指すは金メダルのみだ。

約1カ月後の全仏オープン決勝、またも国枝の前に立ちはだかったのはウデだった。だが、その時の丸山には既にジャパンオープンの時のような不安は一切なかった。国枝のプレーには明らかに進化が見てとれたのだ。
「昨年の全米オープン以降、ずっとフィジカルトレーニングをしてきたおかげで、慎吾の身体は一回りも二回りも大きくなりました。久しぶりにコートで競技チェアに乗った彼を見た時、上半身の大きさに驚いたくらいです。今の慎吾にはチェアスピードもパワーも以前よりあります。ただ、ジャパンオープンではまだ試合勘が戻っていなかった。だから頭と身体が一致していなかったんです。でも、全仏ではそれがフィットしつつありました。これまでの試合勘を取り戻し、新たに身体の強さが加わったんです」
丸山は国枝の進化を見てとり、ロンドンでの金メダルを確信した。

そしてもうひとつ、丸山が復帰後の国枝に感じているのは、以前にも増して強くなったメンタルだ。
「手術を決めてからは、ロンドンまでに完全復活することを信じて進むだけでしたが、それまではなかなか状況が好転せず、慎吾にとっては本当に苦しかったと思います。それでも彼は黙々とトレーニングを続けていました。私が指導している健常者のプロ選手は慎吾の姿を見て『自分だったら耐えられないと思う。何も進展がない中で、あれだけのトレーニングはできないですよ』と言っていました。慎吾だからこそ、乗り越えられたんだと思います。だから、これまで以上に相当、メンタルは強くなっていますよ」

国枝自身は「メンタルが強くなっているかどうかは、正直なところ、まだわからない」という。もしかしたら、それは史上初の連覇を成し遂げた時に実感するのかもしれない。「ケガの功名」とはよく言うが、それは一見マイナスと思われることをプラスに変えていけるだけの努力があってこそ得られるものであろう。国枝はどんな状況に追い込まれても、決して腐ることなく、復活を信じてやるべきことをやり続けた。それが今、実を結んでいるのだ。

北京の栄光から4年。直前で立ちはだかった大きな試練を乗り越え、挑むロンドンパラリンピックで、果たして国枝は何を掴むのか――。いよいよ、4年に1度の祭典の幕が上がる。

(文・斎藤寿子、写真・竹見脩吾)