障害者スポーツアスリートの挑戦に学ぶこと

“支えられる”側から“与える”側へ

過ぎていく1日は皆いっしょ。チャンスを見逃さずキラキラ生きたい!

写真:射撃でのパラリンピック3大会連続出場を果たす田口亜希選手(左)と障害者の就職や転職をサポートするテンプスタッフフロンティアの中村淳代表取締役社長

ロンドンパラリンピックの開催を目前に控え、障害者アスリートたちは最終調整に入った。パラリンピックへの出場がアテネ、北京に続いて3度目となる“働くアスリート”、射撃代表の田口亜希選手を迎え、出場への意気込みや日頃の働き方を訊く。インタビュアは、障害者の就職や転職支援を行っているテンプスタッフフロンティアの中村淳代表取締役社長。そして「挑戦者たち」の伊藤数子編集長が進行を務め、アスリートとして、そして企業人としての挑戦を浮き彫りにする。


社会人4年目で車いす生活へ、生きる術を必死に身につけた
目の前のチャンスを逃さない!
会社に仲間がいるから、競技の「孤独」を乗り越えられる

「競技と仕事の両立について」(テンプスタッフフロンティア株式会社 代表取締役社長 中村淳)



社会人4年目で車いす生活へ、生きる術を必死に身につけた


伊藤:パラリンピックへの3大会連続出場、おめでとうございます。田口さんは競技とお仕事をとてもバランス良く両立されている、といつも思っています。

写真:一時は車いす生活への不安を抱えながらも、夢を叶え続けてきた田口選手

田口:仕事も競技も、どちらも手を抜かず頑張りたいと思っています。現在の職場である郵船クルーズ株式会社には、「飛鳥」というクルーズ客船が就航をはじめて間もないころ、乗組員として採用されました。この仕事に興味をもったのは、学生時代にホテルでアルバイトをした経験から。お客さまとコミュニケーションをはかり、できれば長い時間接しておもてなしができる、そんな仕事を探していました。そうした折、たまたま船を利用する機会がありました。そこで目にしたのは、大勢のお客さまに対し丁寧に接客をつづけるクルーの姿。「ああいう船で働きたい。学生時代に専攻した英語を使っていろんな方とコミュニケーションしたい」。そう友人に熱く語っていたところ、クルーズを業とする会社があることを知りました。
思い描いていた仕事に出会えて、本当にうれしかった。入社後は国内外の海上で接客にあたってきました。

伊藤:在職中に病気が発症したとか……。

田口:入社から4年足らず、25歳の時に脊髄の病気に罹患しました。病気はすぐに完治するものではないと分かっていたけれど、100%受け入れることはできませんでした。仕事は当面は休職としていただきましたが、1年が過ぎたときに、「本当に復帰できるのはいつなんだろう」と不安がでてきました。そうして職場に迷惑がかかってはいけないと、退職の旨を手紙に綴りました。すると上司からは「まだ待つよ」という優しいことばが返ってきました。

写真:周囲の人とコミュニケーションをとりながら道を切り拓いていく田口選手の話に熱心に耳を傾ける中村社長

中村:復職することになったきっかけは?

田口:私自身は「歩けるようになって仕事に復帰しよう」と病院でリハビリをつづけていましたが、実際のプログラムは二足歩行を取り戻すのではなく、「車いすでいかに生きていくか」を前提としたものでした。当時の私は1年後、いや1か月後を考えることさえ、正直怖かった。ふと脳裏に浮かんだのは、社会と関わりを断ち、仕事も結婚もできないままの自分。このまま、寝て暮らすのか――。一方、見舞いに来てくれる友だちの笑顔はキラキラとして、会うたびにその表情に変化がありました。そんな友人の姿を目にした私は、「ここで諦めちゃダメだ!」と自分を信じ、まずは「自分で床から車いすに乗れるようになる」ことを目指しました。
「まずは、車いすで生活できるようにリハビリを頑張って、早く病院を退院しよう」
寝ていてもリハビリを頑張っても同じように1日は過ぎていきます。先のことを考えると不安だけれど、明日の目標を考えよう。身近なことを目標にしたとき、ようやく明るい光が差し込んできました。ちょうど発病から2年経ったころでしょうか、会社はずっと休職扱いとしてくれていたのですが、「会社の優しさに甘えてはいけない」と再度、退職する旨を手紙に綴りました。そうしたところ、会社は私が快適に働ける場所を探そうと、関係会社などにあたってくれたのです。


目の前のチャンスを逃さない!


中村:会社の方々は、田口さんの復帰を心待ちにしていたのですね。

写真:仲間が働く環境を作ってくれたことに感謝し、期待に応えたいという田口選手

田口:ありがたいことに、上司や同僚はまるで自分のことのように懸命に、仕事先を探してくれました。条件は、車いす用のお手洗いがあり、バリアフリー環境が整っていること。上司や同僚のおかげで、日本郵船の神戸支店に復職することができました。その後、結婚し夫の海外転勤に伴い一旦は退職することになりましたが、日本への異動が決まると同時に、ふたたび復職のお誘いをいただくことができました。

伊藤:今はどんなお仕事をされているのですか?

田口:「ロイヤルスイート」という客室を利用されるお客さまを担当し、ご乗船後に心地よく過ごしていただくよう、お部屋のお飲み物などの手配をしたり、その他のご希望をお伺いしています。寄港地での手配や観光地などのご案内もしています。勤務規定に従い、平日月曜から金曜まで勤務し、残業は22時近くに及ぶこともあります。


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会社に仲間がいるから、競技の「孤独」を乗り越えられる


中村:平日は仕事となると、いつ練習されているのですか。

田口:近隣に射撃場がなく、仕事のある平日はほとんど練習できません。自宅でイメージトレーニングなどを行い、週末に千葉などの射撃場にでかけています。しかし、土日に出航がある場合はお見送りに立ち会うため、毎週練習ができるというわけではありません。世界のライバルは「プロ」として平日に自宅や近隣の射撃場で練習を積んでいます。確かに、そうした選手と比べると自分の練習量が少なく、不安になることもあります。けれどそれ以上に、「仕事があるから射撃が楽しい」とも感じます。射撃は孤独な世界です。一方、仕事はお客さまや仲間と会話を交わすことで、気持ちが明るくなる。競技で辛いことがあっても乗り越えられるんです。だから仕事と競技、どちらも全力で取り組みたいと思っています。

伊藤:競技をはじめたきっかけを教えてください。

写真:エアライフルに出会って世界が広がったという田口選手

田口:射撃との出会いは、入社してまもなく。新入社員研修でたまたまお客さまから船内でクレー射撃ができるかという問い合わせがあり、「射撃」というスポーツの存在を知りました。お客さまからお話を聞くにつれ、「私もやってみたい」と思っていたのですが、どこで何からはじめたらよいか全く検討がつかないまま月日は過ぎていきました。
発病し入退院を経てしばらくした頃、いっしょに病室で過ごした方が、エアライフルに準拠したビームライフルに誘ってくれました。私が病室で「射撃に興味がある」と話していたことを覚えてくれていたのです。ビームライフルはゲーム感覚でできるスポーツだったこともあり、楽しみながら少しずつ練習をはじめていきました。すると、試合で優勝を重ねることができ、コーチがエアライフルにチャレンジしないかと勧めてくれました。早速、ライフルの所持許可を取得し、試合に向けて練習を繰り返すうちに、すっかり夢中になって……。どちらかというとスポーツは得意ではありませんでしたが、目の前の練習にのめり込み、気づいたら全日本や国際大会で好成績を収め、パラリンピックの舞台へ。徐々に世界でのメダルを意識し始めました。人でもスポーツでも、出会いって本当に不思議ですよね。(笑)

伊藤:どんなところが射撃の魅力ですか?

田口:射撃はチームで戦うスポーツとは異なり、自分ひとりで判断し自分と戦う競技です。風や光など外的要因はあるけれど、標的を撃つ“自分自身”が大きく結果を左右します。当てるのも外すのも自分の責任です。以前から自分に自信がなく、仕事でも周りに迷惑をかけていないか、ミスはないか不安がありました。けれど、射撃では人のせいにしたり、ごまかすことができません。もしかすると、そうした弱い自分に打ち勝ちたいという思いでつづけているのかもしれません。

伊藤:ロンドンパラリンピックへの出場が決まり、周囲の反応はいかがですか?

写真:右から、田口選手と中村社長、伊藤編集長。田口選手は、「1発もミスは許されない」という厳しいメダル争いに臨む

田口:皆、とても応援してくださっています。基本的には遠征は有給休暇をあてていますが、休むことに遠慮も感じています。射撃の試合は夏が多いのですが、同時にクルーズも夏がシーズン本番。忙しい時期にあたるのにも関わらず、上司や同僚は私が遠慮しないような雰囲気を作って仕事を代わってくれています。北京パラリンピックの際も、緊張しやすい私に気遣って、内緒で中国在住のスタッフが応援に駆けつけてくれ、日本から弾丸ツアーで駆けつけてくれた元同僚もいました。まるで家族のように親身になって接してくれるので、障害者やアスリートという権利を一方的に主張する前に、働くという義務をきちんと果たしたいと思っています。

伊藤:最後にロンドンパラリンピックでの目標を教えてください。

田口:メダルに自分の実力が届いているか自信はないけれど、目標とするなら、金メダルをとろうと思わないと! 金メダルを目指して頑張ります。

中村:コミュニケーション能力を生かし接客業に従事している一方で、自分自身と向き合うスポーツに果敢に取り組むなど、180度違った場面に応じてパフォーマンスを発揮できる点がすばらしいと思います。勤務先やリハビリ中の友人、射撃のコーチなど、いろんな人と関わりながら、チャンスを見逃さず挑戦しつづけたことが、大きな成果となっているのですね。ロンドンパラリンピックでのご活躍を応援しています。

写真:エアライフル伏射(10m)では直径0.5mmの標的を、フリーライフル伏射(50m)では直径10.4mmの標的を狙う。中心を撃つと10点が加算され、本戦では60発の合計点を競い、上位8名が決勝に進む。田口選手は、エアライフルで満射の600点を出した実績をもつ。
写真/竹見脩吾

<田口亜希(たぐち・あき)プロフィール>
1971年3月12日、大阪市生まれ。大学卒業後に郵船クルーズ株式会社に入社。25歳のときに、脊髄の血管の病気で車いす生活になる。リハビリ中に出会った友人の勧めで小型のライフルに出会い、その後本格的に射撃の世界へ。パラリンピックへの出場はアテネ、北京に続き、ロンドンが3回目。エアライフル伏射(10m男女混合・SH1)とフリーライフル伏射(50m男女混合・SH1)の2種目にエントリーし、両種目でメダルを目指す。国内大会では両競技ともランキング1位。2011年IPCワールドカップではフリーライフルにて587点をマークし6位入賞。世界ランキング7位。(2012年8月2日現在) 郵船クルーズ株式会社勤務。

<中村淳(なかむら・じゅん)プロフィール>
東洋大学卒業後、テンプスタッフ株式会社に第一期新卒採用で入社。東京・大阪でマネージャーを経験後、企画部門を経て人事部の採用責任者。そこで、障がい者雇用に関わり、テンプグループの障がい者雇用で職域開発・採用業務に従事。その後「テンプスタッフフロンティア株式会社」を設立し代表に就任、障がい者雇用の新しいスタイルをつくり上げた。障がい者専門の人材紹介を主事業とする同社は、テンプグループのスケールメリットのひとつである「多くの企業との接点」を活かしながら、2006年の会社設立からこれまでの約6年間で1000人以上の就・転職を支援。企業理念である「雇用の創造」「人々の成長」「社会貢献」を礎に、人材紹介のみならず、自治体の就労支援事業受託や就労移行支援にまで事業を拡大中。


競技と仕事の両立について

今回、3名の日本代表選手、車いすテニスの眞田卓さん、視覚障害者柔道の米田真由美さん、射撃の田口亜希さんに大会前の貴重なお時間をいただきお話を伺うことができました。まずは、皆さんのロンドンパラリンピックでのご活躍に心から敬意を表します。

代表選手という「大役」と、いち社員としての「責任」の両立

インタビューでは「競技活動と仕事の両立をどのようにしているのか?」というテーマでそれぞれの状況や考え方、取り組み等をお伺いしました。そして、3名ともパラリンピック選手という大きな役割を担う一方で、私たちと同じような環境で責任のある仕事を任され、やはり私たちと同じようにお客様や職場の人間関係に気を配りながら仕事をしていらっしゃるという現状がありました。

お話を聞いて、3名が勤務する会社や職場は、競技活動にも理解があり協力的で良い組織風土であると感じましたが、それでも選手本人の気持ちに「練習があるから・・・。」「パラリンピックを目指しているのだから・・・。」というような仕事と優先順位を計るような気配が微塵たりともでてしまうなら、企業組織との良好な関係は築けないはずです。
やはり、ロンドンパラリンピックで活躍した3名は、当然ながらこの辺りについては見事にクリアーをしているようでした。

これは「競技と仕事」でなくとも、「育児と仕事」や「介護と仕事」など、仕事と何かを両立させなくてはならない状況においては、同じことが言えるでしょう。

「仕事もきちんと責任感を持って取り組む、その一方で競技・育児・介護も全力で頑張る」
この姿勢・考え方こそが、「仕事との両立」において重要であるということを改めて教えられました。

パラリンピック、代表選手バックアップのための企業の役割り

仕事をしながらパラリンピック出場を目指したいという障害者の方、また、大会出場選手の採用を検討したいという企業の方からのご連絡をいただくことがあります。ロンドン大会が終わってからもすでに複数のお問い合わせがありました。
企業からは「アスリートに、仕事と競技を両立し活躍してもらうためにはどんな条件や配慮が必要なのか?」という質問が多いです。

テンプスタッフフロンティアでも、これまで障害者アスリートの方々の就職・転職の支援をさせていただいた実績がありますが、そんな中、仕事もきちんとする・・・という大前提の下、トレーニングや合宿などの時間的配慮など、企業が選手をバックアップできる部分は多くあると感じています。

ある選手がこう言っていました。

「毎朝5時から出社までの時間と休日にトレーニングをするので、他の社員と同じ条件で問題なく仕事できますよ!」

具体的な夢や目標を持つと人は頑張れるのだ・・・私の中に今でも残っている、印象的な言葉です。

テンプスタッフフロンティア株式会社 代表取締役社長 中村淳


テンプスタッフフロンティア株式会社

テンプスタッフフロンティア 障がい者専門の人材紹介を主事業とする同社は、テンプグループのスケールメリットのひとつである「多くの企業との接点」を活かしながら、2006年の会社設立からこれまでの約6年間で1000人以上の就・転職を支援。
企業理念である「雇用の創造」「人々の成長」「社会貢献」を礎に、人材紹介のみならず、自治体の就労支援事業受託や就労移行支援にまで事業を拡大中。
テンプスタッフフロンティア公式サイト http://www.tempfrontier.co.jp