編集長コラム
障害者スポーツのおもしろさを求め、現場へ
2012.03.01 [伊藤数子「障がい者スポーツの現場から」]
第17回 「障害者スポーツ」という名称の光と影
最近「障害者スポーツ」という呼称に違和感を持つようになりました。このコラムのタイトルを「障害者スポーツの現場から」とつけたものの、私の中でその違和感がどんどん膨らんできているのです。様々な場面で、パラリンピアンが自身の競技のことを「障害者スポーツ」と言っているのを聞いていても、彼らのトップアスリートぶりと、「障害者スポーツ」という言葉の間に違和感を抱くこともしばしばです。そこで、今回はこの「障害者スポーツ」という言葉について考えてみます。
前回、このコラムで私は、<パラリンピックはもはやオリンピックにひけをとらないほど「超エリートスポーツ」と化しています。>と述べました。つまり、「障害者スポーツ」が「スポーツ」として認められる時代になってきているということです。その代表的な例が、昨年8月の陸上世界選手権で、義足ランナーとして初めて出場したオスカー・ピストリウスです。実は、世界選手権以降、障害者スポーツの関係者でも、またスポーツの関係者でもない方から、彼の名を聞くことがしばしばあるのです。これまでは「障害者スポーツ」と言っても、誰ひとりとして名前が挙がらないことがほとんどでした。それが、海外の選手であるピストリウスの名が出てくるようになったのです。
しかも「義足であれだけ走るなんて、すごいよね」と、彼の身体能力の高さを評価する意見が多い。これまでは「義足」=「障害者スポーツ」=「スポーツとは別のもの」という認識があった人たちの中にも、ピストリウスのあの走りを見て、「義足」でもトップアスリートとなり得るんだ、さらには、「義足」で「スポーツ」をする、という考えが高まってきているということでしょう。まさに「障害者スポーツ」が「スポーツ」として認識されつつあることを示している現象です。
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