アスリートストーリー

vol.1 ロンドンに秘められた復興への思い

東日本大震災により東北地方は甚大な被害を受けた。宮城県仙台市を拠点とする車椅子バスケットボールチーム「宮城MAX」。彼らもまた大きな被害を受けた。もちろん、震災直後はバスケットどころではなかった。チームの大黒柱、藤本怜央は当時についてこう振り返る。
「バスケットを考える余裕なんて全くなかった。その日の生活をどうするか、それだけで精一杯でした」
皆、生きることに必死だった。

しかし、時間が経つにつれ、徐々に気持ちはバスケットへと向かっていった。
「何をしていても、バスケットのことが頭に浮かぶんです。自分の中でこんなにもウエイトを占めているものなんだなと再確認しました」
藤井新悟は改めて車椅子バスケットが自分の生きがいだと感じた。そして、チームの誰もが同じ気持ちだった。

震災から約1カ月後、宮城MAXは練習を再開した。とはいえ、宮城県内の施設を使用することはできない。車で片道1時間以上かけ、山形県に通わなければならなかった。そのため、練習できるのは週に1度。それでも、選手たちの口から出るのは「感謝」の言葉だ。

「今までバスケットをやることが当たり前になっていた。でも、震災を経験したことで、今、こうやってバスケットができていることがどれだけ幸せかということに気づかせてもらいました。みんな、ありがたいという気持ちでいっぱいです」
チームを代表してそう語る藤井の表情は、バスケットがやれる喜びに満ちてあふれていた。

世界4強への挑戦

その藤井をはじめ、宮城MAXには来年のロンドンパラリンピックを目指す日本代表候補メンバーが数多く所属している。藤井、藤本、東海林和幸、佐藤聡、中澤正人、豊島英。そしてチームを率いる岩佐義明監督は男子日本代表の指揮官でもある。
彼らにとってパラリンピックとは――。
「世界一を決める大会ですから、昔は自分の手が届くようなものではないと思っていました。それくらい僕にとっては夢のような舞台なんです」
初めての出場を狙う東海林はそう言って目を輝かせた。車椅子バスケットボーラーにとってパラリンピックは、4年に一度訪れる世界最高峰の舞台なのだ。

男子日本代表のロンドンでの目標はベスト4。過去最高成績が7位(1988年・ソウル、08年・北京)の日本にとっては決して低いハードルではない。
「気持ちもスキルも、もっと上げていかなければいけない。パラリンピックまであと1年。1回1回の練習、一つ一つの大会を大事にして、限られた時間の中でどこまでレベルアップしていけるか、それに尽きると思います」と佐藤。彼の真剣な眼差しが、そのハードルの高さを物語っていた。

しかし、決して届かない目標ではない。「4強を狙えるだけのチーム」と自信をのぞかせるのは岩佐監督だ。
「当然、高さでは世界には太刀打ちできません。でも、間違いなく日本のスピードは世界のトップクラス。相手のディフェンスが整わないうちにシュートまでもちこむ“アーリーオフェンス”を徹底すれば、必ず勝機は見えてくるはずです。若い世代も育ってきていますから、大舞台で自分たちの力を思う存分、発揮できれば、ベスト4は決して夢ではありません」

岩佐監督自身、震災で自宅を失った。現在は家族と共に仮設住宅で暮らしている。そんな厳しい状況に置かれている身だからこそ、ロンドンへの思いは一入だ。
「来年のパラリンピックでは、大震災を受けた日本は間違いなく世界から注目されるでしょう。だからこそ、震災を乗り越えて強くなった日本の姿を、しっかりと見せなくてはいけないんです」

11月、日本代表は韓国で行なわれる「アジア・オセアニア地区予選会」に臨む。トップ2チームに入れば、ロンドンパラリンピックへの道が開かれる。“岩佐ジャパン”の戦いはそこからがスタートだ。

(文・斎藤寿子)

協力 日本車椅子バスケットボール連盟