アスリートストーリー

vol.4 42.195キロの舞台裏 ~大分国際車いすマラソン~

2011年10月30日。この日、大分市は朝からどんよりとした雲に覆われ、前日から降り続く雨は徐々に激しさを増していた。そんな中、大分城址公園には続々と精鋭たちが集まっていた。「大分国際車いすマラソン」。31回目を迎えたこの車いすのレースに、今年は18カ国から291名の選手(ハーフを含む)がエントリーしていた。マラソンの部・男子T34/53/54に参加した日本人選手たちにとって、今大会はただのレースではなかった。国内3位以内に入れば、来年のロンドンパラリンピックの出場が内定する。それだけに、集合場所の城址公園にはこれまでにない緊張感が漂っていた。

スタート時間が迫り、交通規制がかけられた大分県庁前の道路には、フルマラソンにエントリーした総勢108名の選手たちが整列した。誘導員とプラカードを持った女子高校生に続き、ゆっくりとスタートラインへと歩を進める。右の車道には昨年、初優勝したマルセル・フグ、過去14度の優勝を誇る世界記録保持者ハインツ・フライのスイス勢。中央分離帯を挟み、左の車道には日本記録をもち昨年準優勝した洞ノ上浩太、今年4月のボストンマラソンで優勝した副島正純と日本人の優勝候補たちがズラリと揃っていた。色とりどりのレーサーに乗った108人の選手たちが一斉にスタートラインへと進む、その情景は圧巻の一語に尽きた。ひとりひとりから放たれるエネルギーが、ひとつの大きなオーラと化し、何か威圧感さえ覚えるような、独特な空気が漂っていた。

午前11時。中央分離帯に大会委員長が立つと、それまで飛び交っていた沿道からの声援がピタリと止んだ。静寂の中でアスファルトと傘に叩きつけられる雨粒の音だけが、響き渡っていた。
「パーン!」
号砲とともに、選手たちが一斉に走り始めた。そのスピードは、想像をはるかに超えており、その迫力に度肝を抜かれた。

勝敗を分けたスタート

「明日のレースは、絶対に面白くなりますよ」
本番前日、翌日の降水確率80%という予報を見て、カメラマンの越智貴雄氏は嬉しそうにほほ笑んだ。2000年シドニー大会からパラリンピックスポーツを追い続けている彼は、これまでに何度も車いすマラソンのレースをカメラのファインダー越しから観ている。大分のレースも今年で8回目だ。その越智氏が言うのだから間違いない。それまで雨の予報を恨めしく思っていたが、彼の言葉に思わず胸が高鳴った。

果たして、その予想はズバリ的中した。スタートから800メートル先の地点で、左右に分かれていた選手たちが合流する。大半の予想では、ここで大きな集団がつくられることになっていた。だが、今年は違った。右レーンから2人の選手が降りしきる雨をものともせず、猛スピードで走り去っていった。左レーンの後方からスタートしたのは、冬夏連続出場を狙う久保恒造だ。久保は、スタートダッシュした右レーンの2人の動きに全く気付いていなかった。雨のレースに強いハインツをマークしていたからだ。ところがそのハインツが意外にも出だしが遅かった。気づくと、久保は先頭からかなり離れた第3集団にいた。

一方、同じ左レーンから出走した花岡伸和は、反対のレーンから2人が飛び出したのがわかった。だが、大粒の雨と、前のランナーから弾き飛ばされる水しぶき、それに混雑する合流地点ではその2人が誰なのか、わからなかった。
「これだけ速いスピードで行くのは、おそらくマルセルと誰か外国勢に違いない」
花岡はそう考えていた。だが、5キロ過ぎの王子の折り返し点で同じ第2集団を形成していた副島に訊くと、意外な答えが返ってきた。
「マルセルと樋口だよ」
その言葉に花岡は驚きを隠せなかった。
「これまでのレースでは、樋口くんが見える位置にいない時は、僕の後ろを走ることが多かったんです。だから正直、ビックリしました」
当の本人もまた「雨の中、よくあのハイペースで走れたなと思いましたよ」とコメントしている。果たして、樋口の快走の要因とは――。

昨年9月、樋口政幸は長野県安曇野市に拠点を移した。そこには2008年から指導を受けている丸山主税トレーナーが居を構えており、隣接する松本市には車いすランナーを受け入れてくれる信州スカイパーク陸上競技場がある。練習環境には最適の場所だった。さらに今年1月にはIT企業のバリストライド株式会社に正社員として入社した。広報部に籍を置く樋口の業務は、自らのパフォーマンスを上げ、アスリートとして結果を残すこと。2年後に迫るロンドンに向けて、樋口は最高の環境を手に入れていた。

その樋口が今年、重点的に行なったのは400メートルという短距離のトラック練習だった。
「これまで持久力には自信があったのですが、瞬発力という点では弱かったんです。だから、レースでもスパートをかけられると、ついていくことができなかった。それで、今年は短い距離に絞ってトレーニングをしてきました」
手応えを感じたのは、8月末から1週間に渡って行なわれた北海道深川市での合宿だった。ロンドンパラリンピックを狙うライバルたちと遜色なく走る自分に「今までのトレーニングは間違いではなかった」と密かに自信をつけていたのだ。そして9月のジャパンパラリンピック後、大分のレースを1カ月後に控えてマラソン用のロード練習に切り替えた。トラック競技ばかりを練習してきたため、スタミナ不足が懸念されたが、意外にも走れる自分に驚いたという。樋口は最高の状態で、大分に乗り込んだ。

運を味方にした樋口

スタートから飛び出したフグと樋口はお互いにローテーションしながら、ハイペースをキープ。15キロまでは世界記録(1時間20分14秒)を上回る走りだった。ところが、突然のアクシデントが樋口を襲った。15キロ地点からは細かいカーブが続く、通称「テクニカルコース」となっている。その最後に待ち受けているグルッと一回転する大きなカーブの所で、段差の衝撃により、片方のタイヤが外れたのだ。その瞬間、樋口は「終わった……」と思った。パンクをしていれば、キットを取り出して新しいタイヤと付け替えなければならない。その間、フグはもちろん、後続のランナーたちにも抜かれていってしまう。
「せっかくいい調子で走れていたのに……」
樋口の心に無念さがこみあげてきた。だが、運よくタイヤはパンクしていなかった。ふと前を見ると、フグが速度を緩めて自分を見ている。すぐにタイヤをはめ、樋口は走り出した。フグに追いつくと、そこから再び二人旅が始まった。

2人の様子を審判車から見ていた日本身体障害者陸上競技連盟の三井利仁常任理事・競技運営委員会委員長は、今大会のハイライトとして、このシーンを挙げた。
「今大会は初めて一発勝負の選考会だったんです。これまでは、実力者がパンクのような不運なアクシデントによって落選するのを避けるために、他のレースの結果も加味しての選考でした。しかし、パラリンピックの本番だってアクシデントは起こる可能性はあります。ならば、実力も運も兼ね備えた選手をロンドンに送り込もうということで、今回は大分の結果のみで内定者を決定することにしたんです。樋口選手のタイヤがパンクしていなかったことは、まさに幸運でした。さらに言えば、フグ選手が待ってくれていたのは雨天で一人では走りたくなかったからだと思いますが、もしもう一人、先頭にいたとしたらフグはその選手と行ったでしょうね。樋口選手と2人だったからこそ、待とうと思ったわけです。つまり、このシーンに樋口選手の運の強さ、勝因が集約されているんです」

その後、25キロを過ぎた久原折り返し点から樋口は何度かアタックし、フグを引き離そうとした。だが、いずれも失敗に終わり、結局勝負は最後のトラックへともつれこんだ。大勢の観客が見つめる中、大分市営陸上競技場に最初に姿を見せたのは、樋口だった。残り1キロ手前から先頭に立ち、そのまま一気にトラック勝負を挑んだのだ。フグはトラック競技で4つの世界記録をもち、絶対的な力を誇っている。しかし、樋口も今こそ、トラック練習の成果を発揮する時とばかりに、先頭の座を明け渡さなかった。2人のデッドヒートに、競技場は熱気に包まれていった。残り150メートル。大勢の観客が見守る中、5年ぶりの日本人優勝の瞬間が訪れようとしていた、その時だった。最終コーナーの立ち上がりでフグが樋口に並ぶと、残り20メートルで先頭に立ち、そのままわずかなリードを守ってゴール。史上4人目となる連覇を達成した。

フグと同タイムで総合2位、国内1位となった樋口は、悔しさよりも感無量だったという。世界のトップランナーと最後まで競ったことが、何より嬉しかったのだ。
「フグとのトラック勝負は、苦しかったけど、本当に楽しかったです。先頭で競技場に入った時、みんなの歓声に迎えられて、すごく気持ちが良かった。それでアドレナリンが出たんでしょうね。最後の400メートルはいつも以上の力が出ました」
樋口は並みいる強豪たちをおさえ、国内トップで世界最高峰の舞台の切符を手にした。練習環境を整え、苦手としてきたトラック練習に励んできた1年の努力が報われたのだ。パラリンピック初出場の樋口は、世界では新鋭の存在である。ならば、今度はぜひ、世界をアッと驚かせてほしい。パラリンピック発祥の地ロンドンで、再び樋口が輝きを放つ。

(文・斎藤寿子)

協力 大分国際車いすマラソン大会