アスリートストーリー

トレーニングが始まった瞬間、目の前の彼にくぎ付けとなった。あまりの迫力に、まるで金縛りにでもあったかのように、身動き一つとることができない。誰も寄せ付けないほどの強烈なエネルギーを放つ彼を前に、息をすることさえもできなかった。
「本当にこの人が、さっきまで『天使のパン』をつくっていた人なのか……」
多以良泉己――これまでほとんど語られたことのなかったアスリートの彼に出会った瞬間だった。
「天使のパン」。3年前からテレビや新聞で取り上げられ、全国から注文が殺到している。時間が経って冷めても残っている焼きたての香ばしさと、もちもちとした柔らかさが絶妙なハーモニーを奏で、一口食べれば、誰もが幸せな気分になる。そんなパンを作り続けているのが、多以良だ。優しい微笑みと物腰の柔らかい口調。彼のいる工房にはゆったりとした時間が流れている。彼自身を「天使」と呼ぶ人が少なくないのも、この独特のオーラのためだろう。
しかし、実は彼にはもう一つの顔がある。「自転車競技者・多以良泉己」だ。毎日、パン作りの後にはトレーニングを欠かさない。多以良が自転車のハンドルを握った瞬間、その場の空気が一変する。険しい表情、引き締まった筋肉、ほどばしる汗……。一心不乱にペダルを踏むその姿は、パン作りの多以良とはまるで別人だ。パン工房での多以良が「柔」ならば、トレーニングルームでの彼は「剛」である。そのギャップが、さらに彼の魅力を引き出していた。
結婚5カ月目での事故
「競輪選手になって、家を買いたい」
子どものころからの夢だった。初めて競輪を目にしたのは、小学3年の時。父親に連れられて行った宇都宮競輪場で、多以良はそのスピード感に魅了された。憧れたのは“ミスター競輪”こと日本競輪界のスーパースター中野浩一だ。高校時代、陸上部に所属したのも中野に倣ってのことだった。高校卒業後、多以良は競輪学校に入った。2000年にデビューした多以良は、04年の12月に念願の一戸建てを購入し、翌年3月に結婚。競輪選手としても成長著しく、まさに順風満帆だったといっていいだろう。ところが、そんな多以良に突然のアクシデントが起こった。その日、“先行”としてレースを引っ張っていくかたちで先頭を走っていた多以良は、ゴール直前、後続2選手の落車に巻き込まれ、後輪が接触し、激しく転倒。すぐに救急車で運ばれ、入院を余儀なくされた。結婚してわずか5カ月のことだった。
約2週間、寝たきりの状態が続いた。最初は首から下は全く動かなかった。しかし、多以良は復帰することを諦めてはいなかった。結婚をして念願の家を建てたばかり。今後の生活を考えれば、無職になるわけにはいかなかった。だが、その半面、大きな不安にも襲われていた。
「それまでも結構、大きなケガをしていたんです。よく骨折もしていましたしね。でも、骨折の時って、体が重く感じるんです。ところが、その時は全身がしびれて麻痺状態。手なんか、二重にも三重にも分厚くなったような感覚だったんです。そんなこと初めてでしたから、内心『これはまずいな』と思っていました」
不安をかき消すかのように、多以良は必死にリハビリを続けた。しかし、思うような効果は得られず、悶々とした日々が続いた。
明るい兆しが見え始めたのは、リハビリの環境が整った病院に転院してからだった。プロスポーツ選手も通うというその病院でリハビリを続けて2カ月、右足の麻痺はとれ、両手が動くようになったが、握力は弱く、感覚も鈍かった。左足の回復はなかなか思うようには進まなかったが、それでも杖だけで歩けるようにまでなり、退院の許可がおりた。これでようやく復帰への第一歩を踏み出したかに思われた。しかし、さらなる試練が多以良を襲った。
自転車との別れ、そして再会
「高次脳機能障害」。脳の一部に損傷が生じ、記憶がとんでしまったり、注意力が散漫になったりするなど、社会生活に困難をきたす症状のことだ。外見ではほとんどわからないため、気づかれないことも少なくないという。多以良が高次脳機能障害を負っていることに最初に気付いたのは、競輪時代の先輩である石井雅史だ。彼もまた練習中の事故により、その障害を負っていた。
「泉己が落車で大けがをしたというのを聞いて、心配になって自宅を訪れたんです。そしたら、目がトロンとしている。僕の時と同じ初期症状だったので、すぐに高次脳機能障害の可能性があると感じました。それで僕の主治医を紹介したんです」
診断結果は、やはり石井がにらんだ通りだった。
それでも多以良は復帰することを諦めなかった。しかし、久しぶりに自転車に乗ってみると、麻痺が残る左足に激しい痙攣が起きた。トレーニングどころではなく、復帰の目途は全くつかなかった。そして――。08年7月、多以良は現役引退を決心し、選手登録手帳を返却した。その時、再び競技を始めるなどとは予想することはできなかっただろう多以良は、ただただ悲しみに暮れていた。
翌日から多以良はパン作りに没頭した。次から次へとくる注文に追われ、現役引退を悲しむ暇もないほどの忙しさだった。約2年間は自転車に乗ることはなかった。だが、やはり多以良と自転車は切っても切り離せない縁にあった。やがて、再び自転車に乗り始めるようになった。しかし、それは競技としてではなく、自らの体の健康を考えてのことだった。
「僕は普通の人よりも心臓が大きいスポーツ心臓(心臓肥大)なんです。そのため、自転車をやめてから発作が起きる回数が増えました。夜中に突然、胸をキューッと掴まれたようになって、息が出来なくなるんです。そこで医師に相談したところ、『また、自転車に乗ってみたらどうか』と言われて、始めてみることにしました。それと体重もどんどん増えちゃって……。せっかく楽しみにしてくれているお客さんに失敗したパンを送ることはできません。だから失敗すると、僕がそれを自分で食べていたんです。糖尿病になるのも怖かったので、体を動かす目的で自転車に乗り始めました。室内でのローラーでしたけど、やっぱり気持ちがよかったですよ。体にたまった毒素が汗で流れていくようで、爽快感でいっぱいでした。それに、スポーツをやると気持ちが前向きになれる。それが一番嬉しかったですね」
さらに多以良の心を刺激したのは、石井雅史の言葉だった。
「一緒にロンドンパラリンピックに行こうよ」
その石井は、08年北京パラリンピックに出場し、金、銀、銅の3つのメダルを獲得していた。
「自分も挑戦してみようかな」
健康維持のためのローラーは、いつしか復帰へのトレーニングに変わっていった。徐々に多以良の中に潜んでいた競技者の血が騒ぎ始めていた。
現在、多以良は毎日欠かさず自宅で30~40分間、ローラーでのトレーニングを行なっている。最も重要視しているのは、いかに上半身の力を抜いて走るかということだ。なかでも肩甲骨の柔らかさは大事なのだという。
「上半身に力が入ってしまうと、体全体の筋肉がかたまって、スピードが落ちてしまうんです。逆に上半身をリラックスさせると、足がよく回るんですよ。だから走っている時に、意識するのは足ではなく、肩なんです。それと手も大事ですね。全ての指でハンドルを握りしめてしまうと肩に力が入ってしまう。ですから、中指、薬指、小指の3本でハンドルを握り、親指と人差し指は支えているだけでいいんです」
なるほど、ローラー上を走る多以良をよく見ると、丹田(へその下)の部分を軸にして、胸から上、肩の部分が左右に揺れている。自転車競技と言えば、どっしりとした太腿から繰り出されるパワーと足の回転スピードが命とばかりに、下半身に注視しがちだ。だが、その下半身の強さを生かすも殺すも、上半身の力の抜き具合だというのだ。スポーツの奥深さを改めて感じさせられた。
一歩一歩、前へ
実戦復帰を果たしたのは、10年5月。1年に一度、開催される「日本障害者自転車競技大会」。1キロメートルのタイムトライアル(C4クラス)に出場した多以良は、1分21秒284で優勝。さらに昨年7月に行なわれた同大会では、1分18秒339。ロードやバンクでの練習を一切行なわず、1年間、室内のローラーでのトレーニングだけで約3秒も縮めた自分に、多以良は自信を深めた。
そして、この大会に多以良と別のクラス(C5クラス)に出場していた石井もまた、多以良の走りに目を奪われていた。
「泉己の走りを見たのは事故後、初めてでした。本当に久々に見ましたが、スタートの最初の踏み出しが、素晴らしく力強かったんです。『少しでもタイムを縮めたい』という強い気持ちが表れていました。ローラーだけのトレーニングで、あれだけの走りができるんですから、やっぱりセンスがあるなと思いましたよ」
そして、こう続けた。
「競技者として上を目指すとなると、もちろん厳しい面もたくさんあります。でも、だからこそ、喜びも大きいんです。泉己にも、それを味わってほしい。彼が本気でやるというのなら、僕はどんな協力も惜しみません。今、日本の選手は層が薄いんです。でも、泉己が挑戦している姿を見たら、それに続く選手が現れるはずです。彼はそれだけ存在価値のある選手だと、僕は思っています。実は密かに、彼から連絡をもらえるのをずっと心待ちにしているんです」
では、多以良本人はどうなのか。
「パラリンピックには、いつか出たいなという気持ちはあります。でも今はとにかく目の前のハードルに挑戦して、一つひとつクリアしていけたらなと思っています」
障害者の大会は年に1度のみ。そこで、昨年からは一般の記録会にも出場するようになった。昨年9月には、さらに約2秒更新し、1分16秒520をマークした。
「練習環境も本当はローラーではなく、バンクを使っての練習をした方がいいんです。もう少しトレーニングを積んで、自信がついたら、バンクで引退後もずっと応援し続けてくれている同期の競輪選手たちと一緒に練習してみようかなとも思っています」
多以良にとって今はまだパラリンピックは、遥か彼方の夢にすぎない。目標とするには、乗り越えなければならないハードルがいくつもあることを彼自身が一番わかっているのだ。だが、その夢があるかないかでは、まるで違うはずだ。確実に、そして着実に多以良のアスリート魂の炎は、勢いを増し始めている――。
(文・斎藤寿子)