アスリートストーリー

vol.10 ロンドンへの道を切り開いた“和”の極み ~車椅子バスケットボール~

昨年11月、韓国で行なわれたロンドンパラリンピック・アジアオセアニア地区予選。 岩佐義明ヘッドコーチ率いる車椅子バスケットボール男子日本代表は準優勝し、上位2位までにおくられるロンドンへの切符を獲得した。勝てばパラリンピック出場が決定する大一番、準決勝の韓国戦では、残り17秒で1点を勝ち越し、それを凌ぎ切るという壮絶な戦いが繰り広げられた。完全アウエーでの大接戦。それはまさに“和”による勝利だった。

ロンドン行きを決めた直後、岩佐ヘッドコーチは安堵感からか津波で流された自宅を思い出し、涙した。

「なんでこんな時に……?」
壮絶な戦いを終え、プレスルームへ向かう途中、岩佐ヘッドコーチの元には祝福の言葉を述べようと大勢の人が押し寄せてきた。誰もが皆、興奮し、笑顔と涙で顔はクシャクシャだった。すると突然、岩佐ヘッドコーチの脳裏に一軒の家が浮かび上がった。それは約8カ月前、未曾有の被害をもたらした「東日本大震災」の津波で流された自宅だった。
「本当に不思議なんですよね。なぜ、あの時に家のことを思い出したのか……。それまでは試合に集中していましたし、全く頭になかったのに……。自分でもビックリしましたよ。多分、ひと安心したということだったんでしょうね」

2011年3月11日、宮城県亘理郡にあった岩佐ヘッドコーチの自宅は津波にのみこまれた。そこにあった、数多くの“日常”と“思い出”が全て流され、残ったのは土台だけ。当時、バスケットのことを考える余裕など全くなかった。
「正直、バスケットを続けるのは無理かなと思いました」

そんな時だった。震災から約2週間後、自宅付近の田んぼの中から日の丸がついた岩佐ヘッドコーチのスーツケースが見つかった。泥にまみれたスーツケースの中を開けると、ゴールネットが出てきた。金メダルを獲得した3カ月前の広州アジアパラ競技大会で、優勝チームだけに許される“ネットカット”した時のものだった。それを見た岩佐ヘッドコーチは、思わず泣いたという。そしてバスケットへの思いが沸々とわいてくるのを感じた。それが岩佐ヘッドコーチにとっての再スタートを切るきっかけだった。韓国戦で自宅を思い出したのは、ひとつの区切りを意味する回想だったのかもしれない。

運命のフリースロー

男子日本代表のヘッドコーチに就任して以降、岩佐ヘッドコーチが最も重要視してきたのはチームワークだ。それが最大限に発揮された試合が、昨年11月のパラリンピック予選、準決勝の韓国戦である。
“アウエーの洗礼”は前日から既に始まっていた。大一番を前に休養日にあてられた韓国に対し、日本はオーストラリアと台湾とのダブルヘッダーをこなさなければならなかったのだ。だが、そんなことを気にする選手やスタッフは一人もいなかった。
「ロンドンの切符を掴むのはオレたちだ」
その自信は“アウエーの洗礼”で揺らぐことは全くなかったのである。

しかし、韓国もホーム開催という好条件もあり、ロンドンに向けて強化策を図ってきたのだろう。これまでは日本が圧倒的な強さを見せていたが、この試合は下馬評を覆す接戦となった。第1クオーター、前半は日本がペースをつかむ。エース藤本怜央が次々とミドルシュートを決め、着実に得点を積み重ねていった。だが、韓国も徐々にリズムをつかみ始め、逆にリードを奪う。嫌な流れを断ち切ろうと、残り3分、岩佐ヘッドコーチはベテランの京谷和幸とポイントゲッターの香西(こうざい)宏昭を投入した。そして、この采配が的中した。

車椅子バスケットではコート上の5人の持ち点の合計が14点以内というルールがある。日本はスタートから出場していた藤本(4.5点)、宮島徹也(4.0点)、東海林(とうかいりん)和幸(1.0点)に、京谷(1.0点)と香西(3.5点)が加わった5人の布陣をしいた。実はこの組み合わせは、それまで練習試合でもなかったという。だが、5人は息の合ったプレーを見せた。第2クオーターで逆転すると、第3クオーターもリードを守った。

迎えた第4クオーター。泣いても笑っても、この10分で全てが決まる。日本は序盤、次々とシュートを決め、9点差にまでリードを広げた。しかし、中盤以降は韓国が猛烈な追い上げを見せ、残り3分を切ったところでついに逆転を許してしまう。それからはお互いに一歩も譲らないシーソーゲームとなった。そして、残り17秒で日本が1点を勝ち越した。守り切りたい日本。逆転したい韓国。両者の意地と意地のぶつかり合いが繰り広げられた。そして、この試合のクライマックスが訪れる――。

「ピーッ!」
審判の笛が鳴った瞬間、会場から大歓声が沸いた。韓国代表チームの選手、スタッフが、肩を抱き合って喜んでいる。宮島のファウルで、韓国に2本のフリースローが与えられたのだ。電光掲示板を見ると、残りタイムは0.3秒。フリースローで全てが決まることは明らかだった。1本成功で延長戦、2本決まれば、日本のロンドンへの道が閉ざされる。既に勝利を確信し、喜びを爆発させている韓国をよそ目に、日本はいたって冷静だった。

コート内の東海林はその時の心境を次のように語っている。
「一瞬、『やばいな』と思ったのは事実です。でも、心のどこかで『勝つのはオレたちのはずだ』という気持ちがありましたね」
一方、ベンチで見守っていた藤井新悟もまた、諦めることは一切なかった。
「あの状況では正直、祈ることしかできませんでした。でも、最後まで『絶対にオレたちがロンドンに行くんだ!』という強い気持ちが揺らぐことは全くありませんでした」
果たして、韓国はフリースローを2本とも外した――。

2本目のシュートがリングから外れたのとほぼ同時に、試合終了のブザーが鳴り響いた。78-77。死闘とも言うべき戦いを制した日本チームには喜びと安堵の表情が広がった。どんな状況の中でも、自分たちを信じ切った。これこそ、“和”の極みであり、日本を勝利に導いた最大の要因だった。

“カメレオン”戦法でベスト4へ!

4年間、築き上げてきたチームの“和”がロンドンへの道を切り開いた。

ロンドンパラリンピックは8月29日に開幕する。男子車椅子バスケットボールの予選リーグは30日から始まり、日本はカナダ、ポーランド、ドイツ、コロンビア、そして地元のイギリスと決勝トーナメント進出をかけて対戦する。カギを握るのは、ポーランド戦とドイツ戦。なかでもインサイドを元五輪代表の2人のセンター陣が攻めてくるポーランドは、日本にとってはやっかいな相手だという。高さではとても太刀打ちできない相手に対して、日本はどう挑むのか。実は既に指揮官の頭では、戦略は出来上がっている。「オールコートプレス」でのディフェンスだ。つまり、積極的に前からプレッシャーをかけ、日本が得意の速い展開にもっていこうというのだ。

このように、日本のディフェンスは相手チームのプレースタイルによって、さまざまに変えることができる。この柔軟性が、日本の武器の一つだ。
「海外のチームに個々の高さやパワーで勝つことはできません。ならば、こちらはゾーンディフェンス、ハーフコートプレス、オールコートプレスと、3つのパターンを相手や場面によって変えながら戦っていきます。そう、まるでカメレオンのようにね(笑)。そして、オフェンスはアーリーオフェンス。日本のスピードは世界でも十分に通用しますから、“ハヤテ”のようにビュンビュンいきますよ!」と語る岩佐ヘッドコーチ。表情は穏やかだが、その目は自信をみなぎらせていた。

その自信は、もちろん選手にも備わっている。「どんどん期待してもらいたい」とは、エース藤本の言葉だ。
「自分たちの中では十分に手応えを感じているので、これから本番までの間、海外のチームと練習試合をするのが楽しみで仕方ないんです。こんな気持ちになったのは初めてですね。これまでは『勝たなくちゃいけない』という責任感ばかりが先にきて、楽しむことなんてできませんでした。もちろん、今も日の丸を背負っているという責任感や自覚はあります。でも、自分たちがどのレベルにあるのかを試すのが、すごく楽しみなんです。確実にチームがレベルアップしていくだろうと確信していますから」

パラリンピックでの男子車椅子バスケットボールの最高成績は7位。今回の目標はベスト4だ。
「どのチームも強豪ばかり。予選から厳しい戦いが続くと思います。でも、自信はありますよ。ロンドンでは日本人らしさ、つまりガッツあるプレーを見せたいですね」と岩佐ヘッドコーチ。“ハヤテ・オフェンス”と“カメレオン・ディフェンス”、そして究極の“和”で、世界に挑む。

(文・斎藤寿子、写真・竹見脩吾)

協力 日本車椅子バスケットボール連盟