アスリートストーリー

vol.11 初のマラソン金メダルへ ~車いすランナー・土田和歌子~

まだ見ぬ頂を目指し、日々、過酷なトレーニングを積んでいる。

「いよいよだなぁ、という気持ちです。本番に向けて、徐々に戦闘モードへと切り替わってきていますね」
トレードマークの笑顔の中には、どっしりとしたベテランの風格、そして金メダルへの強い意思が垣間見られた。そしてもう一つ、意外なものを彼女の表情や言葉の端々から感じていた。「緊張感」である。それは4月の競泳日本選手権で北島康介にも感じていた。五輪2大会連続2冠という快挙を成し遂げている北島だが、彼にとって五輪の巨大さは今も全く変わっていない。それは、まるで獲物を捕らえるかのような鋭い眼光からひしひしと伝わってきた。夏冬合わせて6度目の出場となる土田にとっても、パラリンピックはやはり巨大なのだ。改めてパラリンピックという山の高さ、道のりの険しさを感じずにはいられなかった。

刺激と課題を得た海外遠征

今年4月の海外遠征で、土田のロンドンへのギアがまた一つ上がった。まずは6連覇を狙って出場したボストンマラソンだ。土田の調子自体は上々で、気候にも恵まれ、稀に見る好条件がそろった。土田にとっては願ってもないチャンスだった。ところが、結果は2位。しかも、トップとはわずか1秒差という悔しい敗戦となった。
「最後はスプリント力で負けてしまいました。完敗ではなく、競り負けたというのが悔しかったですね。ただ、自分としては積極的にいくことができましたし、その中で自分に不足している部分がわかりました。ロンドンに向けて強化されている海外の選手の走りを目の当たりにして、改めて自分にはまだまだやるべきことがあるなと感じました」

その6日後にはロンドンマラソンに出場した。ロンドンパラリンピックで使用されるコースの一部が採用されているということもあり、ロンドンの前哨戦として世界のトップ選手が集結していた。その中で土田は、自分がどこまで先頭集団の中で走ることができるのかを見極めようと考えていた。スタートから先頭集団を形成したのは、ロンドンで金メダルを狙っている各国のトップランナーたちだった。もちろん、その中には土田の姿もあった。

5キロ付近、土田がコースの特徴を利用して最初のアタックをかけた。それについてきたのが、地元英国とカナダの2人。そこからは3人でローテーションをしながら走って行った。すると15キロの下り坂にさしかかると、英国の選手がパッとスピードを上げた。それに土田もカナダの選手もうまく反応することができず、みるみるうちに引き離されていった。レースの後半、必死に前を追いかけるも、なかなかスピードに乗ることができず、英国の選手に独走を許してしまった。結果は、ボストンと同じ2位。今度は約4分もの差を開けられての完敗だった。レース後の土田は気を引き締めていた。
「優勝した英国の選手は20代と若い選手で、着実に力をつけているなと感じました。これまでは海外の選手というと、パワーとスプリント力に長けている選手が多かったんです。ですから、どちらかというとトラックの短距離向けで、マラソンは持久力のある日本人選手が強かった傾向にありました。ところが、今は海外の大柄の選手も皆、持久力をつけてきています。もともとスピードもありますから、最後にトラック勝負となっても強い。4年前と比べると、選手のレベルは格段と上がってきていることを感じましたね」

結果を占う選手村への第一歩

そんな中、果たして土田はどこにロンドンパラリンピックでの勝機を見出そうとしているのか。「戦略という部分については詳しくは伝えられないのですが……」としながらも、ロンドンマラソン後に下見をしてきたというパラリンピックのコースについての感想を語ってくれた。
「今までのパラリンピックのコースとは比較にならないほど、テクニカルなコースだなと思いました。道幅が狭いところもありましたし、コーナーの角度も結構きついんです。実際に走っていないので何とも言えませんが、全体的になかなかスピードを上げるのは難しいのかなと。とはいっても、スピードを上げられそうなポイントもありましたから、車いすの操作性やスピードコントロールが重要になってくると思います。相手の動きを見ながら細かく駆け引きをするということは難しいと思いますので、スタートの位置取りは非常に重要ですね」

妥協のないトレーニングが世界のトップへ押し上げた。

金メダル争いは土田も含めて、9、10人のトップランナーたちで展開されることが予想されるという。土田いわく、「選手の力はほぼ互角。だからこそ、誰が勝ってもおかしくない」。なかでも、20代の若手ランナーたちの伸びは顕著だ。それをボストン、ロンドンで改めて感じたからこそ、土田には今、“緊張感”が漂っているのだろう。だが、そこには“不安”は微塵にも感じられなかった。その理由は次の高橋慶樹コーチの言葉にあった。
「彼女が長年、世界のトップであり続けられるのは、何よりも気持ちのコントロールが巧いからだと思いますよ。もちろん、人間ですから落ち込むこともありますし、悩むこともある。でも、そこから気持ちを切り換えるのが早いんです。そして、練習ではどんな時も妥協しない。『今日はこれくらいにしておこう』というような練習は絶対にしません」
だからこそ、自分自身に自信をもってスタートラインに立つことができるのだ。

土田はパラリンピックになると、自分の調子を感じ取る瞬間がある。それは開催地の選手村に一歩、足を踏み入れた時の感覚だ。
「選手村に最初に入った時に感じる感覚は、私にとってとても大事なんです。そして、そこでいい感覚を得られるためには、やはり日頃からの準備が必要。現地に入るまでに、どれだけ充実した日々を過ごしてきたか。それがあってこその感覚なんだと思います。ロンドンまで残り2カ月。しっかりと体を仕上げて、選手村に入った時にいい感覚が得られるようにしたいですね」

競技人生の集大成として臨むロンドンパラリンピック。妥協のない練習の積み重ねから得られる自信、そしてその自信から生み出される高いパフォーマンス。土田和歌子というランナーの真骨頂はそこにある。パラリンピック最終日、最高の笑顔が弾ける姿が見られるのを心待ちにしたい。

(文・斎藤寿子、写真・竹見脩吾)

協力 多摩市立陸上競技場