応援メッセージ


目の前にある困難や状況に関係なく、ただひたすら目標に向かって全力を出し切る選手達。彼らのひたむきな姿はいつも、1994年の忘れられない出会いを思いださせる。ハンディを理由に縮こまり、沢山のものを諦めようとしていた自分を変えた、一人の少年のことを。
血友病治療で投与された輸入血液製剤でHIVに感染した自分は、10歳で感染を告知されて以来ずっと自暴自棄だった。どうせ自分は長く生きられない、夢や目標など持つだけ無駄だ。そう思い、死の恐怖と感染を知られないようにするストレスで一杯の毎日を送っていたのだ。
だが1994年の夏、横浜の国際エイズ会議で出会った10歳のアメリカ少年は全く違っていた。顔や名前を隠すことなく、感染を公表した彼が聴衆に向かって呼びかけた言葉は今も忘れられない。「ノー モア サイレンス(もう沈黙はやめよう)」その時自分は決めたのだ。もう俯くのは止めよう。ありのままの自分として胸を張って生きて行こうと。そして翌年実名を公表、国を相手に闘い、勝利した。だが裁判の結果以上に嬉しかった事は、病気の自分が顔をあげて堂々と生きられるようになったことだ。パラリンピックの選手たちは美しい。彼らがハンディのある人生から逃げず、真っ直ぐに向き合うその生き方が、観る者を感動させるのだ。94年のあの夏に、私を大きく変えたあの少年のように。
私も彼らに負けないように、自分を信じて走り続けようと思う。 目の前の障害を理由に道を見失わないよう、決して俯かずに進んでゆく。誰もが生きていて良かったと心から思える「いのちが最優先される社会」の実現という生涯の夢に向かって。結果よりそこを目指す姿そのものが貴いこと、それを改めて思い出させてくれた、パラリンピックの選手達に心からの感謝とエールを送りたい。
<川田龍平(かわだ・りゅうへい)プロフィール>1976年1月12日生まれ、東京都小平市出身。参議院議員。
薬害エイズ訴訟(東京HIV訴訟)原告、元松本大学非常勤講師。生後6ヶ月 血友病と診断され、治療のために投与した輸入血液製剤によりHIV感染。10歳のとき母親から感染を告知される。高校3年生で「薬害エイズ事件」の国と製薬会社の責任を問う東京HIV訴訟の原告に加わり、95年実名を公表。1996年 訴訟に実質原告勝訴の形で和解した。2003年4月 松本大学、非常勤講師。2007年 世界経済フォーラムが選ぶ「Young Global Leaders」に選ばれる。
2007年7月 参議院議員選挙に東京選挙区から無所属で立候補し、683,629票を得て当選を果たす。2007年みんなの党入り。参議院厚生労働委員会に所属(2012年8月現在)。
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