サイドストーリー

vol.3 支えあっての競泳人生 ~競泳・秋山里奈~

観ている者を魅了するアスリートのパフォーマンス。そこには言わずと知れた彼ら彼女らの日々の努力がある。だが、決してそれだけではない。コーチ、トレーナー、家族、友人……。多くの支えがあってこそ、アスリートたちは自らの限界に挑むことができる。秋山里奈にとって、そのひとつが「チャンピオンスイムクラブいせはら校」だ。

秋山の練習拠点「チャンピオンスイムクラブいせはら校」は神奈川県伊勢原市にある。彼女はそこで総勢16人の小学生、中学生と共に遠藤基コーチの指導を受けている。パラリンピアンだからといって、決して特別扱いはされていない。つまり、彼女は遠藤コーチにとって“1/17の選手”なのだ。なぜ、自分だけを指導してくれる専任コーチにつかないのか。

「私、基本的に一人で練習するのが苦手なんです。みんながいてくれるから、辛い練習も楽しいと思える。確かに専任コーチからプライベートレッスンを受けた方が、独占することができますし、濃い練習ができると思います。でも、私はみんながいてくれたからこそ、ここまで水泳を続けてくることができた。一人だったら、もうとっくに辞めているかもしれません」

なるほど、子どもたちは秋山にとって大事なチームメイトなのだ。とはいえ、子どもたちのおしゃべりや笑い声の中、果たして世界を目指したトレーニングは可能なのだろうか……。
「一見、子どもたちは騒いでいるようにしか見えないと思いますが、でも彼ら彼女らにもちゃんと目標があって、それに向かって頑張っているんです。私が『パラリンピックに出たことあるよ』なんて言うと、『えっ! すごい! 里奈さんに勝ちたい』と言われることもある。少なからず私の存在が子どもたちにとって刺激になっているわけで、だったら私も頑張らなくちゃ、って思えるんです」

北京で流したコーチの涙

そして、秋山にとって何より大きな存在が遠藤コーチだ。初めて会ったのは2004年4月、秋山が高校2年の時だった。当時、彼女は筑波大学付属視覚特別支援学校に通っており、寮生活をしていた。平日は学校の水泳部で練習し、週末だけ地元のスイミングスクールに通っていた。そのスイミングスクールに新しく配属となったのが遠藤コーチだった。遠藤コーチの第一印象を秋山はこう語っている。
「新しいコーチが入ったと聞いた時は、不安もありました。でも、最初に会った時、『あ、いいコーチだな』とすぐに思いました。私が目が見えないということに対して、特別扱いすることがなかったんです。自然な対応がすごく居心地がよくて、なんとなくフィーリングが合うなと感じたんです」

遠藤コーチは普段、めったに怒ることはないという。指導する表情は柔らかいが、そこにはいつもどっしりとした落ち着きがある。「クールな人だな」。秋山はそう思っていた。しかし、ある出来事を境に、秋山の遠藤コーチへの印象はガラリと変わった。それは北京パラリンピックの2、3カ月前のことだった。ある日、コーチから練習メニューを聞いた秋山は、その厳しさに「えっ!? そんなの無理」と言ってしまった。本気ではなく、ふざけてポロッと口にした言葉だった。しかし、遠藤コーチはそれを聞き流さなかった。
「だったら、別にやらなくていいよ。そんなヤツのために北京まで応援には行くことはない」

これまで聞いたこともない強い口調に、秋山は深く反省するとともに、遠藤コーチの芯の部分を感じたような気がした。
「いつもははしゃいだり、怒鳴ったり、あまり感情を表に出す人ではないんです。そのコーチに初めて怒られて、ビックリしましたけど、でもそれだけ真剣に指導してくれている証拠。選手と同じ気持ちでいてくれる、そういう熱い人なんだということがその時にわかりました」

その熱さは北京でさらに爆発した。金メダルを目指していた視覚障害クラスの背泳ぎが廃止され、自由形に種目変更して挑んだパラリンピック。秋山は表彰台には届かず、8位に終わった。しかし、遠藤コーチはスタンドでうれし涙を流していた。そのワケとは――。
「里奈は自由形が本当に苦手だったんです。最初はもう八方ふさがり状態だった。それでも2人で一緒に練習に取り組んで、なんとかパラリンピックに出場することができた。目標は33秒台でしたが、それまでは35秒前後しか出せていませんでしたから、決勝はどうかなと思っていたんです。しかも、その前の(自由形)100メートルの予選で肩を痛めるアクシデントもあって……。ところが、そんな心配をよそに予選でいきなり33秒台をマークした。これには心の底から嬉しさがこみ上げてきましたね。自分自身にとっても初めてパラリンピックに送り出した選手でしたから、感慨深いものがありました。もう、人目もはばからずに泣きじゃくりましたよ(笑)」
その涙が秋山の気持ちをも清々しくさせたのだろう。レース後、彼女の顔には一点の曇りもない、晴れ晴れとした表情が浮かんでいた。

ロンドンへの課題

“来る者拒まず、去る者追わず”――。遠藤コーチはいつも、選手の自主性を重んじる。だからこそ、秋山が大学入試のために現役を引退すると言った時も反対はしなかったし、逆に復帰した時も「本人にやる気があるのなら」と受け入れたのだ。そんな遠藤コーチの口から北京後、秋山に向けて出た言葉は意外なものだった。
「背泳ぎの選手として、もう一度世界記録を出して、金メダルをとらないか?」
それほど、秋山の背泳ぎに魅力を感じているのだろう。

2人で話し合った結果、2年後の10年、オランダで開催される世界選手権で世界記録を樹立して優勝することを目標に据え、トレーニングを再開した。実際、秋山は北京後に2度、世界記録を更新している。1度目は09年7月のジャパンパラリンピック。それまでの記録を0秒47上回る1分20秒76で世界記録を樹立した。だが、国内大会だったこともあり、彼女自身は「世界一になった」という実感はほとんどなかったという。目指すは世界大会での記録更新だった。そして昨年8月、オランダで行なわれた世界選手権、もともと目標にしてきたこの大会で秋山は見事、世界記録を更新した。ところが、そのわずか0.48秒前にイタリアの選手が先にゴールしていた。そのため、秋山の記録は世界記録にはならなかった。「ここで終わるわけにはいかない」――秋山の気持ちは自然とロンドンへと向かっていった。

現在、世界記録は1分19秒78。秋山の自己ベストは1分20秒26。その差、わずか0.48秒。乗り越えられない壁ではない。だが、来年のロンドンで金メダルを狙うには16秒台の争いになると予想している。その理由を遠藤コーチはこう語る。
「どの選手もパラリンピックにピークを迎えるように調子を合わせてきますからね。毎回、本番になるとグンとタイムが伸びるんですよ。それに世界記録保持者は10代と若い選手ですから、それこそ本番でどれだけ伸ばしてくるかわからないんです」

今年、秋山は8月のジャパンパラリンピック、9月の記録会と自己記録を更新することができなかった。課題は後半の粘りだ。スピードがある分、前半から力んでスタミナを消耗してしまうのが秋山のクセだ。前半を抑え、後半にスタミナを残したい。とはいえ、前半を抑え過ぎては後半で追いつくことはできない。そのバランスが難しいのだ。
「前半はリラックスした状態で入りたい。そのためにはひとかき、ひとかき、しっかりと水をとらえた泳ぎをすること。今年はその練習をずっとやってきました。今、少しずつ形になってきています」
その効果はまだタイムには表れていないが、遠藤コーチに焦りはない。そこには本番に強さを発揮してきた彼女への揺るぎない信頼感がある。

秋山もまた自分自身に限界を感じてはいない。
「私はまだまだ未発達な部分が多い。それだけに、のびしろは十分にあると思っています」
来年3月の最終予選会がラストチャンスだ。そこに照準を合わせて、どこまでタイムを伸ばすことができるか。決して楽観視することはできないが、彼女は一人で戦っているわけではない。かわいいチームメイトと、深い絆で結ばれているコーチからの後押しを受け、8年越しの夢に挑む。

(文・斎藤寿子)