二宮清純の視点

二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線

第1回「22歳で訪れた人生の転機」

~車椅子バスケの伝道師~(1/4)

日本選手権でプレーする京谷和幸選手井上雄彦の人気漫画『リアル』(集英社)でも知られている車椅子バスケットボールは、障害者スポーツのなかでも人気が高い競技のひとつだ。コートの広さ、バスケットゴールの高さ、試合時間は一般のバスケットボールと全く同じ。ルールもダブルドリブルが適用されないという以外に違いはほぼない。特徴的なルールといえば、選手にはそれぞれ障害によって1.0~4.5にクラス分けされており、コート上の5人の合計が14.0以内におさめなければならないことくらいだ。
 車椅子バスケットボールの最大の魅力は格闘技と見間違えるほどの激しさにある。車椅子ごと相手に突進していくコンタクトプレーの応酬に会場全体が興奮の渦に巻き込まれる。そして巧みなチェアワークと美しい放物線を描いたシュートに観客は魅了される。
 日本の車椅子バスケットボールの重鎮ともいえるのが、シドニー、アテネ、北京と3大会連続でパラリンピックに出場した京谷和幸選手だ。彼は元Jリーガー。小学2年からサッカーを始め、高校選手権出場、ユース代表、オリンピック代表候補......と順風満帆なサッカー人生を歩んできた。しかし、Jリーグ開幕の年、事故で胸椎と腰椎を損傷し、車椅子生活を余儀なくされた。サッカー選手としての道を断たれた京谷選手。そんな彼を救ったのは家族の支え、そして車椅子バスケットボールとの出合いだった。

二宮: 京谷和幸さんといえば、今や国内では車椅子バスケットボール界の顔と言っても過言ではありません。2008年の北京パラリンピックでは日本選手団の主将を務めました。

京谷: ありがとうございます。今はすっかりベテランになってしまって、フィクサー的存在です(笑)。

二宮: チームのまとめ役としての役割も大きいのでは?

京谷: そうですね。若い選手にとってはヘッドコーチに直接聞きづらいこともあるので、僕がパイプ役になることもありますね。

二宮: 京谷さんが事故に遭ったのは22歳の時。ちょうどJリーグが開幕した年でした。選手としては、まさにこれからという時期だっただけに、車椅子生活になることを知ったときは相当なショックを受けたのでは?

京谷: そうですね。実は主治医から宣告される前に妻の日記を見てしまったんです。そしたら「脊髄神経がダメになって、車椅子の生活」というようなことが書いてありました。でも、信じられなくて受け入れることができませんでした。だからとりあえず見なかったことにしようと。正式に宣告されるまでは、葛藤の日々でした。

二宮: 宣告される前に、既にショックを受けてしまっていたと。

京谷: はい、そうなんです。だから宣告される日の朝は、すぐに「あ、来る時が来たな」とわかりました。雰囲気がいつもとはまるで違いましたし、主治医のほかに、院長先生もいたりして......。「これから車椅子生活になります」と言われて、「はい、わかりました」と答えただけでした。

二宮: どれくらい入院したのですか?

京谷: リハビリも入れると約7カ月です。その間に車の運転の訓練もしてもらいました。手動装置を使って手で運転するんです。でも、最初は怖かったですね。事故がトラウマになっていて、車に乗ること自体が嫌でした。車椅子バスケットボールの見学に誘われたときも、運転が嫌で行きたくなかったんです。そんな僕の重い腰を上げてくれたのが、妻でした。「私が運転してあげるから一緒に行こう」と言ってくれたんです。

二宮: その奥さんとは入院中に入籍したそうですね。

京谷: 事故後、11日目に籍を入れました。彼女とは婚約をしていて、実は事故の日は結婚式の衣装合わせの日だったんです。でも、事故で入院してしまったので延期かなと思っていたら、彼女から「入籍しよう」と言ってきたんです。当時、僕は車椅子の生活になるなんて想像もしていなかったので、「なんで、今なんだ?」と不思議に思っていました。でも、彼女はもうその時には既に全てをわかっていたんでしょうね。

二宮: しっかりしている方ですね。

京谷: そうですね。後から聞いたのですが、僕の両親は「結婚の話は白紙に......」と妻の両親に言ったそうです。でも、妻は頑として首を縦に振らなかったそうです。

順風満帆なサッカー人生

二宮: 事故に遭う前は、バリバリのサッカー選手でした。そもそもサッカーをやるきっかけは何だったのですか?
Jリーガー時代を振り返る京谷選手京谷: 本当はサッカーにはそれほど興味は持っていなかったんです。当時は野球が好きで、小学2年の時に父親と地元の野球チームに入団のお願いに行ったことがあるんです。そしたら、「3年生からじゃないと入れないから、来年また来なさい」と言われてしまいました。それで、もう野球はいいや、なんて思っていたら、姉の担任だったサッカー部顧問の先生に「足が速いんだってな。サッカー、やってみないか?」と誘われたんです。子供心に嬉しくなっちゃって、「はい、やります」と言ってしまいました。実は小学1年の時に地元の室蘭大谷高校がインターハイで準優勝したんです。その試合、僕も観ていたので、サッカーへのイメージがなんとなく頭にあったということも影響していたと思います。

二宮: 子どもの頃からスポーツには自信があったのですか?

京谷: ありましたね。リレーの選手になるほど足も速かったですし、スポーツは何でもできたと思います。

二宮: その後、進学した室蘭大谷高ではインターハイに2回、高校選手権は3年連続で出場。2年時にはユース代表に選出され、3年時には選手権で優秀選手にも輝きました。日本リーグのチームからいくつも誘いがあったのでは?

京谷: そうですね。鹿島アントラーズの前身の住友金属とかに声をかけてもらっていました。でも、僕はずっと日産自動車に行きたかったんです。加茂周さんに「日産に行きたいんですけど」って言ったら、「オマエ、5年は試合に出られないぞ」って言われました。

二宮: 当時は戦力が充実していましたからね。

京谷: 錚々たるメンバーでしたから、「そりゃ、出れないよな」と。その時に東京FCの前身、東京ガスからすごく熱烈なオファーを受けたんです。まだ東京都の社会人リーグだったのですが、「これから強くしていきたい」と言っていて、「そんなに言ってくれるなら」と。しかもサンパウロと提携していたので、ブラジルに留学させてくれるという話があったんです。ブラジル留学はサッカー選手の夢ですからね。「うわぁ、いいな。行きたいな」と思って、ほとんど決めていたんです。そしたらうちの高校のコーチに「オマエ、いいのか、そんなところに行って。弱いチームに行ったら、ユース代表とか日の丸をつけられなくなるぞ」って言われたんです。そこで日の丸とブラジル留学を天秤にかけて、「やっぱり日の丸だな」と。それで当時のユース代表の監督で、古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)のスタッフだった永井良和さんに「うちに来い」って誘っていただいたので、決めたんです。

二宮: ユース代表にも選ばれています。 "たら・れば"になりますけど、そのままやっていたら日本代表になっていたかもしれないですね。

京谷: いつも言うんですけど、それは多分ないですね。冷静に考えると、僕のサッカー人生は20歳で終わっていたような気がします。バルセロナ五輪代表候補とか、ユース代表に選ばれると、明確な目標がしっかりとあって、そこに向かってやっていくんです。でも、その時期が終わると、プツンと何もなくなっちゃうんですよね。20歳の時に岡田武史さんに言われていたんです。「オマエ、今はユース代表とかオリンピック代表候補とか、明確に目標はあるだろうけど、それは年代が来たら解散するんだから、次の目標を考えとかないと大変だぞ」って。でも、乗っている時でしたから、「うるせぇよ」って思っていましたけどね(笑)。今はちゃんと聞いておけばよかったなぁって思いますね。でも、事故を起こした後、その岡田さんの言葉を思い出したんです。「あ、やっぱり常に夢とか目標をもたないとダメなんだな」と一つの指針になりました。

(第2回へつづく)

<京谷和幸(きょうや・かずゆき)プロフィール>
1971年8月13日、北海道生まれ。小学2年からサッカーを始め、室蘭大谷高校時代にはインターハイ2回、高校選手権3回、国民体育大会3回出場。3年時の選手権では優秀選手に選ばれた。2年時にはユース代表、3年時にはバルセロナオリンピック代表候補にも選ばれるなど、将来を嘱望されていた。高校卒業後、古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)に入団したが、93年に自動車事故で引退。94年から車椅子バスケットボールチームの千葉ホークスに所属し、全国車椅子バスケットボール選手権大会で8度の優勝を経験。日本代表としても活躍し、シドニー、アテネ、北京と3大会連続でパラリンピックに出場した。今年7月に英国・バーミンガムで開催される世界選手権代表にも選出された。
現在は、(株)インテリジェンス(総合人材サービス業)提供の障がい者専門人材サービス事業にて、自身の経験や視点を生かし、企業や個人に向けたアドバイスを行う"障がい者リクルーティングアドバイザー"としても活動している。

(構成・斎藤寿子)




二宮 清純(にのみや せいじゅん)

スポーツジャーナリスト。
1960年、愛媛県生まれ。オリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシング世界戦など国内外で幅広い取材活動を展開。テレビのスポーツニュースや報道番組のコメンテーターとしても活動中。主な著書に「スポーツ名勝負物語」(講談社現代新書)、「プロ野球の一流たち」(講談社現代新書)など。障害者スポーツでは矢野繁樹、成田真由美、国枝慎吾などのノンフィクションを執筆している。

[HP] SPORTS COMMUNICATIONS ~二宮清純責任編集~


"挑戦者たち"への取材にあたって

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写真:狩野亮選手写真:マルハン韓裕社長

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写真:中森邦男氏

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写真:森喜朗元首相

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