二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2024.03.15
前編 クライミングは"友だち"
~"見えない壁"を共に乗り越える~(前編)
2005年設立のNPO法人モンキーマジックは<見えない壁だって、越えられる。>をコンセプトに、フリークライミングを通じ、<人々の可能性を大きく広げ、多様性を認め合えるより成熟した豊かな社会>を目指している。代表理事を務める小林幸一郎氏はパラクライミング世界選手権で計5度の優勝を誇るクライマー。一般社団法人日本パラクライミング協会の共同代表理事を兼ね、日本各地で障がい者クライミングの普及活動を行っている。
二宮清純: 16歳でフリークライミングを始めたと伺いました。元々、クライミングに興味があったのでしょうか?
小林幸一郎: 私は子どもの頃、スポーツ、体育が一番苦手でした。かけっこをすればビリだし、球技ではボールが飛んでくるのが怖くて逃げていたような少年でした。勉強も得意ではなく、スポーツができる人はカッコイイし、勉強ができる人はすごいなと思っていました。それなのに自分はどちらの才能もない、と悩んでいた時、たまたま書店で手にした山岳情報誌『山と渓谷』のフリークライミング特集を目にした。それが興味を持ったきっかけです。
二宮: これまでのスポーツには感じられなかった魅力があった、と。
小林: そうですね。その『山と渓谷』の記事に"クライミングは誰かに勝ったり、他人と比べたりするものではなく、自分の限界を少しでも押し上げる、そこに向かっていくスポーツだ"と書かれていたんです。それを読み、"これなら自分でも楽しめるかも"と思ったんです。勇気を出して、その雑誌に載っていたクライミング教室に申し込みました。
二宮: そこからみるみるハマッていったと?
小林: そうですね。それこそ大学時代はバックパックでいろいろな国を巡り、クライミングを楽しみました。
二宮: 目の病気が発覚したのは社会人になってからの28歳ということですが、それまでに何か予兆はあったのでしょうか?
小林: 私が罹った「網膜色素変性症」は、進行性の目の病気で、症状は人により異なりますが、私はゆっくり着実に進行していくものでした。たとえば車を運転していて、なんとなく前が見えにくい日がある。当時、日本でパソコンが普及し始め、企画書や報告書を作成していたので、"そのせいで目が悪くなったんだ"と思っていました。眼鏡をつくりに行ったことがきっかけで眼科医の検診を勧められたんです。
二宮: 眼科医には「将来失明する」と言われたそうですね。
小林: 最初は"この人は何を言っているんだろう?"と受け入れることができなかった。私は、その日も自分で車を運転して病院に行き、診断後も車で帰宅しましたからね。ところが段々、現実に見えない世界がやってきました。徐々に見えていたものが見えなくなり、できていたことができなくなることに気が付くと、"次は何が見えなくなって、何ができなくなるんだろう"と悪い未来のことばかり考えるようになってきました。
二宮: その間はクライミングから離れていたのでしょうか?
小林: 当時は今ほどではないですが、人口壁を登るクライミングジムが徐々にまちに増えていた。仕事や目が見えなくなっていくストレス解消のために続けていました。クライミングに夢中になっている間は、嫌なことを忘れられる時間でしたから。
【人生を変えた出会い】
二宮: 見えない未来に対する不安しかなかった小林さんを救ったのは、あるケースワーカーの一言だったそうですね。
小林: はい。できないこと探しをするよりも、何をやりたいかの方が大事だと教えてくれました。「やりたいことがあるんだったら、見えない中でどうやって生きていくのかを考える。それがあれば、周りの人も支えてくれるよ」と言ってくれたケースワーカーの先生との出会いが大きかった。その後のエリック・ヴァイエンマイヤーさんとの出会いを含め、自分が生きてきた道の点と点が線になって繋がっていきましたね。
二宮: エリックさんは全盲の登山家で、世界7大陸最高峰完全制覇という偉業を成し遂げています。
小林: 彼の存在を知った時、全盲でエベレストを登頂したことに驚きました。自分が思っている以上に視覚障がい者というのは、はるかに大きな可能性があるのだと気付かせてくれた。ある日、友人からエリックの本を贈ってもらい、その本を頼りに、彼のホームページを見つけて「会いたい」とメールを送り、会いに行きました。エリックは人をたくさん笑わせて、周りを明るくする。クライミングという共通言語があり、たくさん話しました。
二宮: 人生を大きく変える出会いだったんですね。
小林: そうですね。彼が私のロールモデル。生き方の選択肢がものすごく広がりましたね。日本では障がいのある人というと、どこかネガティブな印象を持たれることがある。でもエリックは「アメリカではたくさんの障がいのある人がクライミングを通じて、新しい可能性に気付けている。日本でまだ誰もやっていないのであれば、それはキミの仕事なんじゃないか」と言ってくれました。確信を得た私は2005年にNPO法人モンキーマジックを立ち上げたんです。
二宮: 以前、「クライミングは友だち」とおっしゃっていましたが、それは今でも変わりませんか?
小林: はい。私にとって一番大事な友だちです。友だちだから喧嘩する時があり、嫌になる時もある。でもいつも気になるし、一番近くにいて欲しい存在ですね。僕は一生、この"友だち"と一緒に生きていくと思います。
(後編につづく)
<小林幸一郎(こばやし・こういちろう)>
NPO法人モンキーマジック代表理事。1968年、東京都出身。16歳でフリークライミングに出合う。大学卒業後は旅行会社、アウトドア衣料品販売会社などの勤務を経て独立。28歳で進行性の眼病「網膜色素変性症」と診断された。2005年、視覚障害者のフリークライミング普及活動を行うNPO法人モンキーマジックを設立し、代表理事に就任。2018年には日本パラクライミング協会の副理事に、2020年に共同代表理事に就任した。パラクライミング世界選手権ではB1とB2クラス合わせて5度優勝。著書に『見えない壁だって、越えられる』(飛鳥新書)などがある。
NPO法人モンキーマジック
(構成・杉浦泰介)