二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.11.04
第1回 初のメダルを掴んだ4度目のパラリンピック
~パラアスリートの真の強化を目指す~(1/4)
12年越しの銅メダルである。水泳日本代表の山田拓朗選手は、4度目のパラリンピック出場となったリオデジャネイロ大会において、男子50メートル自由形(S9)で自身初のメダルを獲得した。弱冠13歳でパラリンピック出場を果たし、今回で4大会連続出場。長きに渡って第一線で戦っている山田選手に、日本の現在地とこれからを訊いた。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長):今回のゲストはリオデジャネイロパラリンピックの水泳競技で銅メダルを獲得した山田拓朗選手です。おめでとうございます!
山田拓朗:ありがとうございます。
二宮清純:まずは銅メダルを獲った、男子50メートル自由形のレースを観ながら、解説していただきたいと思います。金メダルとは100分の5秒差、銀メダルとは100分の1秒差でした。映像で見ても大接戦ですね。
山田:そうですね。スピードを落とさぬように50mで息継ぎは1回しかしていませんので、泳いでいるときには周りの状況はほぼ分かりませんでしたね。
二宮:これだけ混戦でも全く隣は気にならないものですか?
山田:多少はなりますけど、レース中は周りを見ている余裕はありませんから。自分がどのあたりの順位にいるのかはあまり分からないですね。
二宮:ゴールした瞬間は?
山田:正直、ゴールしたばかりだと順位は全然分からない。でも3位以内はスタート台が光るんですよ。それで自分がメダルを獲ったことを知ったという感じです。
二宮:ランプが光ったのを見て、喜びがこみ上げてくるわけですね。レース前は金メダルを狙っていたのでは?
山田:いえ、メダルよりも25秒台という目標タイムを見ていました。まずはそれを出せるようにということだけを考えていたんです。しかし、フィニッシュタイムは26秒00。結果的に設定した記録を達成できなかったことの方が残念でした。
二宮:同じ自由形では100メートルと400メートルに出場しました。100メートルでは、決勝に進んだものの8位入賞。表彰台には届きませんでした。
山田:正直、すごく調子は良かったので、かなりいいタイムが出るかと思っていたんです。100メートルに関しては本当に自分でも納得いかないというか、悔いが残るレースでしたね。
伊藤:具体的には、どこが上手くいかなかったのでしょう?
山田:レースプランとしては前半である程度抜け出して、そのまま逃げ切れればと思っていました。予選のときは前半50メートルを早く入り過ぎて、後半疲れてしまったんです。だから決勝はほんの少しだけ余裕を持って入ろうと。それが裏目に出て大幅にタイムを落としてしまった。予選とは諸条件も違ったこともあって、自分をうまくコントロールできなかったですね。
【満足度は40%!?】
二宮:今大会は自由形3種目(50、100、400メートル)とバタフライ1種目(100メートル)の計4種目に出場して、2種目で決勝進出です。山田選手自身の満足度は10段階でどのぐらいですか?
山田:うーん、4くらいですかね。
伊藤:4ですか。それは厳しい自己採点ですね。
山田:はい。評価しているのは、50メートルで自己ベストを2回更新してメダルが獲れたということだけです。あとは反省点ばかりというか、次に向けての課題が見えた大会でした。でも、4年後の東京パラリンピックへ向けてのモチベーションになりました。
伊藤:山田選手は13歳でアテネパラリンピックに出場して、リオで4回目のパラリンピックです。初のメダルを獲れたということで、成果が出た大会だったのかなと私たちは見てしまいました。10段階で4と聞いて驚きました。
山田:もちろん今まで獲れなかったメダルを手にできたことはすごく嬉しいです。でも50メートル自由形では25秒台を一番の目標にしていましたから。そこを出せなかったので、満足だったとは言えません。100分の1秒でも足りなかったことが、とても悔いが残っていますね。
二宮:満足度は40%とおっしゃいましたが、それでも初のメダル獲得。ご両親も喜ばれたのでは?
山田:はい。これまでパラリンピックのメダルを獲ったことがなかったので、獲ったらもっと嬉しいものかと思っていましたが、狙っていた記録を出せなかったこともあって僕自身はそうでもなかった。ただ応援してくれた周りの方々が予想以上に喜んで下さったので、そこは僕としても嬉しかったです。
二宮:山田選手はNTTドコモの所属です。東京本社だけでも自社での応援会に200人近く集まったとお聞きしました。会社の皆さんの応援も力になったのでは?
山田:そうですね。朝早くから集まって応援していただいたので、それはすごく励みになりました。結局、最後の最後は自分の力以外に、どれだけ多くの人が応援してくれているかも勝負を決めているような気がします。だから社内で声を掛けていただくことも、すごくいいモチベーションになりますし、大変ありがたいですね。
(第2回につづく)
<山田拓朗(やまだ・たくろう)>
1991年4月12日、兵庫県生まれ。先天性左前腕亡失でS9、SB8、SM9クラス。3歳で水泳を始め、日本人史上最年少13歳で2004年アテネパラリンピック出場を果たす。その後も北京、ロンドン、リオデジャネイロと4大会連続出場。08年北京パラリンピックは100メートル自由形で5位入賞。12年ロンドンパラリンピックでは50メートル自由形で4位に入った。14年のアジアパラ競技大会では金メダル3個を含む、計6個のメダルを獲得。15年IPC世界水泳選手権では50メートル自由形で銀メダルを手にした。16年リオパラリンピックでは同種目で銅メダルを獲得した。NTTドコモ所属。
(構成・杉浦泰介)