二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2015.09.03
第1回 リオ行きを懸けた負けられない戦い
~男子車椅子バスケ、指揮官が描くストーリー~(1/4)
1年後に迫ったリオデジャネイロパラリンピック。車椅子バスケットボール男子日本代表は、第2回大会からの11大会連続出場を目指す。今年10月には千葉で「三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉」(三菱電機アジアオセアニア選手権)が行われ、上位3カ国・地域までがリオへの切符を掴む。2013年、男子代表のヘッドコーチ(HC)に及川晋平が就任した。及川HC就任後、バスケットボール界のトレンドも取り入れつつ、緻密な戦略を練ってきた。クレバーな指揮官が思い描くリオまでのストーリーを訊いた。
伊藤:今回のゲストは車椅子バスケットボール日本男子代表ヘッドコーチの及川晋平さんです。まずは来月に控える三菱電機アジアオセアニア選手権についてお伺いしたいと思います。上位3カ国・地域のみがリオデジャネイロパラリンピックへの切符を掴める最終予選を兼ねています。出場12チームの中で及川さんが警戒している相手はどこでしょう?
及川:昨年の世界選手権で優勝したオーストラリアは、ちょっと頭ひとつ抜けているかなという印象があります。あとは同6位の韓国と同8位のイランが、日本(9位)のライバルになってくる。韓国、イラン、日本の3カ国で2つの枠を争うというのが現実的なところですね。
二宮:それを考えれば、決してハードルが低いというわけではない。大会までの期間、どのあたりを中心に強化していきたいと考えていますか?
及川:「韓国とイランに勝ってリオに行く」というストーリーがある一方で「リオで結果を出す」というストーリーも並行して進めていかなければいけない。予選で勝つために完成度を高めていくことと、リオまで成長していけるような、将来性のあるチーム作りをする。この2つをうまくマネージしないと、予選に勝てたとしてもそこで終わってしまうチームになる。今はその両立が難しいなと思っているところですね。
二宮:あくまでも、パラリンピックに出ることのみが目標じゃない。リオでどのくらい上位に行けるかが、もっと大事だという考えですね。
及川:そうですね。ロンドンパラリンピックが終わってから私が引き継いだ日本代表チームにとっては、リオが目標の最終地点です。そこでどういう結果を出すかにもとづいて、チームづくりを計画している。つまりリオで何位に入るかというところは、忘れちゃいけないだろうなとは思っています。
【"声"がもたらすアドバンテージ】
二宮:今回の三菱電機アジアオセアニア選手権は、千葉ポートアリーナでの開催です。ホームアドバンテージも少なくない。観客の声援も選手やHCの励みになるんじゃないでしょうか。
及川:その点は非常にありますね。去年、韓国の仁川で世界選手権とアジアパラ競技大会が開催されました。大会で韓国代表と対戦した際には、接戦になればなるほど、相手の大歓声が我々の声を全て消し去っていったんです。韓国のショットが入ると大きく盛り上がり、一方では日本のショットが落ちても大歓声になる。メンタル的にも非常に大きく影響すると感じました。
伊藤:選手たちにも観客の声はよく聞こえているそうですね。そうなると味方への指示が伝わらないこともあるんでしょうね。
及川:我々は声を使って、コート内で必要なコミュニケーションをとります。選手たちも声を意識的に聞こうとしているので、観客の声がすごく影響してしまうのかもしれないですね。
伊藤:そういう意味では、今度は千葉での開催。そのホームアドバンテージを十分にいかしたいですね。
及川:そうですね。この「声援」という部分が千葉でやれることの一番のメリットではないでしょうか。観客の皆さんに応援してもらって、我々の空気の中で勝ちに行く。是非ともたくさんの方に来ていただきたいですね。
伊藤:改めて、三菱電機アジアオセアニア選手権への意気込みをお聞かせください。
及川:もちろん今回の大会を勝たなければ、その先のリオパラリンピックはない。一方で、2020年には東京パラリンピックがある。僕にとっては非常に難しく、やり甲斐のある宿題を与えられている。その中でも、まずはここを勝たないといけません。2020年まで世界大会に出場できないとなると、日本にとって大きな損失なんです。それだけは絶対にやってはいけないというのが、僕の中に確固としてありますね。
二宮:課された宿題は決して容易なものではないですね。
及川:選手、スタッフ、観客など関わる人たち全員で、結果を勝ち取りたいですね。それを一度、経験した上で東京に向かうことができたらいいなと感じています。非常にプレッシャーはありますが、同時にビッグチャンスでもある。是非とも目標を実現させたいと思います。
(第2回につづく)
<及川晋平(おいかわ・しんぺい)>
1971年4月20日、千葉県生まれ。高校1年の冬、骨肉腫で右足を切断。1993年に千葉ホークスに入り、車椅子バスケットボールを始める。翌年、米国に留学。シアトルスーパーソニックス、フレズノレッドローラーズでプレーする。2000年にはシドニーパラリンピックに出場した。02年、車椅子バスケットボールチーム「NO EXCUSE」を立ち上げ、現在はヘッドコーチとして活躍。12年ロンドンパラリンピックは男子車椅子バスケットボール日本代表アシスタントコーチとして経験した。13年から日本代表ヘッドコーチに就任。14年インチョンアジアパラ競技大会ではチームを銀メダル獲得に導いた。PwCあらた監査法人に勤務。
(構成・杉浦泰介)