二宮清純の視点

二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線

第1回 "出会い"と"発見"の連続

~車いすテニス・コーチングの奥義~(1/4)

写真:車いすテニスの指導を始めて15年。丸山弘道コーチは日本の車いすテニスを世界に押し上げた第一人者と言っても過言ではない

 2008年北京パラリンピックではシングルスで悲願の金メダルに輝いた車いすテニスプレーヤー国枝慎吾。彼をジュニア時代から育成し、世界王者へと導いたのが丸山弘道だ。丸山が車いすテニスの指導を始めたのは今から14年前。あるプレーヤーからの猛アタックがきっかけだった。それまで全く接点がなかった車いすテニスの指導に、なぜ彼は熱中し始めたのか。その背景に二宮清純が迫った。そこには数々の出会いと発見があった。


二宮: 丸山さんが車いすテニスの指導をされ始めたのは、1997年。バルセロナ、アトランタと2大会連続でパラリンピックに出場した大森康克さんとの出会いがきっかけだったそうですね。

丸山: はい。当時、大森さんはそのシーズン限りでの引退を決めていました。そこで自らが発起人の一人として創設した日本マスターズ(NEC全日本選抜車いすテニス選手権大会)で最後にひと花咲かせ、現役の最後を飾ろうと思っていたようです。

二宮: それで白羽の矢が立ったのが丸山さんだったと?

丸山: そのようですね。でも、当時の私は車いすテニスを指導したことがなく、何の知識もありませんでした。ですから「コーチとして、自分は大森さんに何もできない」と一度、お断りをしたんです。それでも大森さんから猛アタックをかけられまして......。それで「ヒッティングパートナーでよければ」ということで、引き受けました。結果的に、優勝はできませんでしたが、大森さんは決勝に進出し、準優勝したんです。私自身、車いすテニスのノウハウもない中、よくやったなと。大役を果たしたことだし、これで車いすテニスとは離れて、また一般のジュニア育成に戻ろうと思っていました。ところが、大森さんから「次に指導してもらいたい選手がいるんだ。絶対に日本代表になるだけの力があるから、ぜひ指導してほしい」と言われたんです。今度こそ、断ろうと思いました。でも、もうその選手を呼んでいると言うんです。追い返すわけにもいかないですし、結局、断ることができませんでした。その選手というのが、2年後の2000年にシドニーパラリンピックに出場した山倉昭男さんでした。

写真:大森氏(右)の熱烈なアプローチによって始まった車いすテニスのレッスン。コーチとしての在り方を教えてもらった 写真/公益財団法人吉田記念テニス研修センターテニスとは似て非なるもの

二宮: 本格的に車いすテニスの指導に取り組み始めたのはいつ頃ですか?

丸山: 山倉さんを指導していくうちに、車いすテニスの指導にのめりこんでいきましたね。それは、車いすテニスへの考え方が変わっていったというのが大きかった。というのも、テニスコーチというのは、普及や強化以前に、老若男女問わず、そして障害の有無に関係なく、テニスというスポーツの楽しさを伝えることなんじゃないかと思ったんです。でも、大森さんを指導している時はそれがわかっていませんでした。そのことに気づかせてくれたのも大森さんだったんです。私は最初、大森さんに対して、荷物を持ってあげたり、車いすを押してあげたり......と至れり尽くせりでした。そんな私の態度に大森さんは嫌気がさしたんでしょうね。ある日、「あなたは私のコーチなのか、介助者なのか、どちらですか?」と聞いてきたんです。もちろん私は「コーチです」と答えました。そしたら「それなら、テニスコーチとしての仕事を全うしてください。私ができないのは階段を昇り降りすることだけ。あとは全て一人でできますから、自分のことは自分でやります」ときっぱりと言われました。その時、自分が指導者として大森さんに接していなかったことに初めて気付かされたんです。そこから徐々に車いすテニスへの考え方が変わり始めたことで、翌年98年からの指導へつながっていったのかなと思っています。

二宮: とはいえ、一般のテニスと車いすテニスとでは似て非なるもの。車いすテニスの指導ならではの難しさもあったのでは?

丸山: 最初のうちはわからないことだらけでしたね。ですから、私自身が選手と同じくらいに車いすテニスができるようになって初めて、「自分は車いすテニスのコーチです」と言おうと思いました。そこで毎週日曜日の業務終了後、車いすテニスの選手から1時間ほどのレッスンを受けました。実際にやってみて、何が難しかったかというと、まずボールを追って車いすを思いっきり漕ぐわけですが、いざ追いついてラケットでボールを打つ時にはもう腕がパンパンに張っちゃって、手が出てこないんです。とても相手コートにボールを打つなんてことはできませんでした。

写真:実際にやってみて、初めて車いすテニスの過酷さを痛感したという丸山コーチ。最初は漕ぐだけで精一杯だった

二宮: 車いすテニスの過酷さを身に染みて感じたと。

丸山: はい。これはもうテニスと同じだと考えてはいけないと思いました。同じテニスでも、車いすテニスという競技なんだと。それから選手と同じトレーニングをしました。ボールを打つということは専門分野ですからできたので、とにかくチェアワークをマスターするのに必死でしたね。3カ月くらい経って、ようやく選手とラリーができるくらいまでになりました。「車いすテニスのコーチです」と言えるようになったのは、それからです。

二宮: 一般のテニスと車いすテニスの指導面での違いは?

丸山: 山倉さんの時に、感覚の違いを教わりました。最初、私は普通のテニス同様に、必死になってボールを追いかけてワンバウンドで返していたんです。もちろん、車いすテニスが2バウンドまでOKということは知っていました。でも、わざと2バウンドで返したのでは、相手に失礼だろうと思っていたんです。ところが、山倉さんには「2バウンドで返してもらわないと練習にならないと」と言われてしまいました。

二宮: 実際の試合では2バウンドでのボールの方が多いわけですから、1バウンドばかりではタイミングがつかめないということですか?

丸山: そうなんです。こちらが良かれと思ってやっていたことが、山倉さんにとっては違っていたんですね。ですから、こういう球が来た時には、選手は走らされて2バウンドで返すだろうから、この球は2バウンドで打とうというふうに、1球1球、考えながら打つようにしました。やはり、一般のテニスとは違うスポーツとしてとらえなくてはいけないなと改めて痛感させられました。

写真:丸山コーチ(右)からテニスと車いすテニスとの指導の違いを聞き、改めて「似て非なる競技」と感じた二宮清純

(第2回につづく)

<丸山弘道(まるやま・ひろみち)プロフィール>
1969年7月20日、千葉県生まれ。公益財団法人吉田記念テニス研修センター(TTC)エリートコーチ。日本車いすテニス協会ナショナル男子チーム担当コーチ。10歳から地元の柏ローンテニスクラブに通い、高校、大学とテニス部に所属。明治大学時代にはインカレにも出場した。大学卒業後、一度は保険会社に就職したが、4年で退職。その後、テニスコーチとなり、TTCのジュニア選手担当コーチを務める。97年より車いすテニスの指導を始め、斎田悟司、国枝慎吾などパラリンピック選手を育成。ナショナルコーチとして初めて臨んだ2004年アテネ大会では男子ダブルスで斎田、国枝ペアを、そして08年の北京大会では男子シングルスで国枝を金メダルに導いた。

(構成・斎藤寿子)


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二宮 清純(にのみや せいじゅん)

スポーツジャーナリスト。
1960年、愛媛県生まれ。オリンピック、サッカーW杯、メジャーリーグ、ボクシング世界戦など国内外で幅広い取材活動を展開。テレビのスポーツニュースや報道番組のコメンテーターとしても活動中。主な著書に「スポーツ名勝負物語」(講談社現代新書)、「プロ野球の一流たち」(講談社現代新書)など。障害者スポーツでは矢野繁樹、成田真由美、国枝慎吾などのノンフィクションを執筆している。

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