二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2011.11.10
第2回 長野での栄光の舞台裏
~進化し続けるパラリンピアン~(2/4)
二宮: リレハンメルで悔しい思いをした分、長野に向けての4年間は、相当な努力をされたのでしょうね。
土田: リレハンメル後は高校卒業を迎えたということもあって、1年間は就職活動に専念しました。それで翌年から東京都の職員として働き始めたのと同時に練習も再開したんです。平日は勤務が終わってから夜、トレーニングをして、週末には氷上での練習場所を求めて、自分の車で山梨や長野に行ったりしました。
二宮: 海外に遠征するのもひと苦労だったのでは?
土田: そうですね。当時はまだアイススレッジのノウハウが何もなかったので、日本代表チームのみんなと自費で、本場のノルウェーに合宿に行きました。でも、物価が高くて、困りましたね。ホテルで食事をしようとすると、5000円くらいかかっちゃうんです。そんな余裕はとてもないので、みんなで2キロ先のスーパーマーケットに買い出しに行って、部屋でエビを塩茹でしたり、野菜を切ったり......。そうそう、1つのカップラーメンを3人で分けて食べたこともありました。とてもアスリートとは思えないですよね(笑)。でも、そこまでしたからこそ、長野でのメダルにつながったのだと思います。
二宮: その長野では金2個、銀2個を獲得されました。リレハンメルと比べると、大きな飛躍だったのでは?
土田: 実は短距離(100メートル、500メートル)の方で金メダルを狙っていたんです。ところが、当時は無名だったノルウェーの選手がいきなり出てきて、金メダルを持っていかれてしまいました。ショックでしたけど、すぐに「よし、1000メートル、1500メートルでは、絶対に金メダルを獲るぞ!」とうまく気持ちを切り替えることができました。これが大きかったですね。
陸上転向後もメダルを量産!
二宮: 長野後は陸上に転向しましたが、そのきっかけは何だったのでしょう?
土田: 一つはアイススレッジの参加国と競技人口が少ないために、次のソルトレークシティでは正式競技から外されてしまったことでした。それと、アイススレッジの選手だった時、夏場に持久力をつけるトレーニングのために陸上競技の選手と一緒にトレーニングをしていたのですが、そこで陸上が面白いと感じていたんです。それで、2年後のシドニーを狙おうと思いました。
二宮: とはいえ、陸上とアイススレッジでは全く違う競技です。準備期間が2年というのは非常に厳しかったのでは?
土田: そうですね。持久力とスピードが必要だということについては共通しているのですが、何せ車輪とエッジとでは全く違いますからね。確かに、苦労はしました。
二宮: ところが、シドニーではいきなりマラソンで堂々の銅メダルを獲得。これには驚きました。
土田: 当時、畑中和さんという先輩ランナーが世界のトップを走っていたんです。間近にそういう目標の選手がいたことで、私自身も短期間でうまくレベルアップできたかなと思いますね。
二宮: シドニーの後、東京都の職員を辞めて、現参議院議員の橋本聖子さんが設立したマネジメント会社に所属されました。自ら安定した生活を捨て去るのには勇気がいったのでは?
土田: 確かに不安はありましたね。でも、シドニーの頃にはもう、海外では多くのパラリンピアンがプロ活動をしていたんです。そういう選手に勝つには、自分も同じような環境をつくらなければと。そんな時にちょうど橋本聖子さんと出会ったんです。
二宮: 練習環境もガラリと変わったでしょうね。
土田: はい。アテネまでの4年間は、思いっきり競技に専念させてもらいました。今考えると、ぜいたくすぎるんじゃないかというくらい......。もちろん生活は裕福ではありませんでしたが、選手としては最高の環境だったと思います。
二宮: 2001年の大分国際車いすマラソンでは世界記録を更新。04年のアテネでは5000メートルで金メダル、マラソンでは銀メダルに輝きました。日本人では初の夏冬金メダリストになったわけです。その最大の要因は何だったのでしょう?
土田: シドニーでは全てのレースを走りきると体重が43キロから39キロまで落ちてしまった。これでは体格の大きいパワフルな海外の選手には勝てないと思ったんです。そこでシドニー後は大学の教授からアドバイスをいただきながら、肉体改造に着手したんです。脂肪をそぎ落として、筋力アップを図り、アテネでは48キロで挑みました。それが5000メートルの金メダルにつながったのだと思います。
(第3回につづく)
<土田和歌子(つちだ・わかこ)プロフィール>
1974年10月15日、東京都生まれ。高校2年時に交通事故で脊髄損傷を負い、車椅子生活となる。翌年の秋にアイススレッジスピードスケートの講習会に参加し、約3カ月後のリレハンメルパラリンピック(1994年)に出場。4年後の長野大会では1500メートル、1000メートルで金メダルに輝き、100メートル、500メートルでは銀メダルを獲得した。その後は陸上競技に転向し、2000年シドニー大会では車いすマラソンで銅メダル、04年アテネ大会では5000メートルで金メダル、マラソンで銀メダルを獲得した。07年にはボストンマラソンで日本人では初めて優勝する。08年北京大会は5000メートルのレース中に転倒し、再レースを断念。マラソンも棄権した。今年4月のボストンマラソンでは5連覇を達成。大分国際車いすマラソン大会では6度の優勝を誇る。サノフィ・アベンティス株式会社所属。
(構成・斎藤寿子)
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