二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2025.10.23
後編 スポーツに救われた人生
~スポーツとの"掛け算"で広島を発信~(後編)
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): アンディさんは、これまでいろいろなかたちでスポーツに関わられてきました。今回のスポーツアクティベーションひろしま(SAH)の代表に就かれたのは、元々地方創生に興味がおありだったのですね?
秦アンディ英之: そうですね。私は幼少期の6年間、アメリカのフィラデルフィアで暮らしました。その影響は大きかったと思います。アメリカの地域社会におけるスポーツの存在価値はすごく高いんです。スポーツを通じて育まれた地域を愛する気持ちは、住んでいる間はもちろん、そのまちを離れた後も強い。例えば、引っ越しや転勤した後も、かつて住んでいたまちのチームを応援する姿勢は変わらない。それほど人々を熱くし、地元愛の醸成にも繋がるスポーツの価値を知らないまま過ごしている人もまだたくさんいます。だからこそ、SAHを通じてスポーツの素晴らしさを世に伝えたい。
二宮清純: アンディさんは南米のベネズエラ生まれだとうかがいました。
秦: 父親が商社マンだったので、日本と海外を行ったり来たりしました。3歳でベネズエラから日本に戻り、幼稚園卒園まで暮らしました。小学校6年間はフィラデルフィア。その期間は「日本人としてではなくアメリカ人として暮らしなさい」という父の教えがあったため、日本語に一切触れませんでした。中学校からまた日本に帰ってきて驚いたのは、アメリカで求められたことが、日本では正反対だったんです。
二宮: 具体的には?
秦: アメリカでは自己主張が大事で、日本ではそれを良しとしない文化がある。例えば、誰かに「何か必要なものある?」と聞かれた時、必要ないのに曖昧な答え方をすれば、「はっきりしないヤツだ」と認めてもらえないのがアメリカです。逆に日本で「いらない」とキッパリ答えると、「生意気だ」「こいつには遠慮がない」というふうにとらえられるんです。これは衝撃的でしたね。
二宮: まさにカルチャーショックですね。
秦: 中学から高校の途中まで約4年間かけて、日本に順応していきました。それで高校の途中からフィラデルフィアに戻ると面白いことが起きました。英語でコミュニケーションが取れるはずなのに、同級生たちに馴染めない。日本とは逆の現象です。アメリカでは自己主張が薄れたことで、小学校時代の私を知る人間からは「オマエ、変わったな」と言われてしまったんです。
二宮: ある種、"日本仕様"になっていたわけですね。
秦: そうです。日本でもアメリカでも、そんな私を救ってくれたのは、常にスポーツでした。中学校の時はバスケットボールを通じて仲間ができた。高校では、アメリカンフットボールのプレーで認めてもらった。スポーツによって壁を乗り越え、スポーツを通じてコミュニケーションを図ることで人間関係の構築ができたのです。
【愛情の掛け算】
二宮: スポーツが共通言語だったわけですね。それにしても大学でまた日本に戻り、"ザ体育会"のアメフト部に入った。あえて厳しい環境に飛び込む姿勢は大学卒業後も変わりませんか?
秦: そうかもしれません。SAHで県内にある様々なスポーツ資源を活用し、地域を活性化していくことは、もちろん大変だとわかっています。例えば格闘技団ONE Championshipの日本法人代表になる時の選択もそうです。友人に相談したら、ほとんどの人間が「やめておけ」と言った。それでも、スポーツ界の発展に寄与できるんだったら、挑戦する意義があると思い、決断に迷いはありませんでした。
伊藤: SAHは25のスポーツ団体が加盟しています。女子野球やパラスポーツの団体があれば、広島カープ、サンフレッチェ広島というメジャースポーツの球団もある。それぞれ仕組みも運営も資金力も異なる団体にどう化学反応を起こしていくか。その挑戦を楽しみにしています。
秦: 民間企業との掛け算だと考えています。日本には、企業がスポーツに投資するという発想がまだ薄い。創業者ありきだと創業者が退いた後、企業がスポーツから離れていく。利益だけを考えれば、景気が悪くなり、業績が落ちれば削減対象となる。企業と掛け算できる関係を築くことで、持続可能なチーム運営ができると思うんです。
伊藤: 最後に今後に向けての目標を。
秦: 地域社会にスポーツの良さを正しく伝えたい。ファン目線やチーム目線だけでなく、いろいろな立場からもスポーツの良さを引き出していきたい。スポーツを「する」だけではなく「見る」「支える」も含めて。スポーツに触れ合う環境をもっと増やしていきたい。スポーツをより身近なものにしていけば、地域社会の活性化に繋がる。また広島と海外のまちとの連携も考えています。そこは私の強みでもありますから。
二宮: 広島との掛け算ですね。
秦: その通りです。これまで海外交流は、日本では東京経由のものが多かった。これからはそれを飛び越し、海外との地方都市同士の掛け算をしていきたい。スポーツを介し、コミュニティを広げる。チーム愛、地域愛、企業愛。それぞれ愛情は掛け算できるはず。それは産業誘致や地域活性にも繋がります。そのきっかけづくりを我々がしていきたいと思っています。
(おわり)
<秦アンディ英之(はた・あんでぃ・ひでゆき)プロフィール>
スポーツアクティベーションひろしま代表。1972年、ベネズエラ出身。1996年明治大学法学部卒業後、スポーツ専門の調査コンサルティング会社の日本法人代表取締役、アジア格闘技団体ONE チャンピオンシップの日本法人代表取締役、サッカーJリーグ特任理事、バスケットボールB.LEAGUE三遠ネオフェニックス国際部門バイスプレジデント兼ジェネラルマネージャーを務めた。今年2月からスポーツアクティベーションひろしまの代表に就いた。大学時代はアメリカンフットボール部に所属し、東西学生オールスター戦の関東代表選手に選出された。大学卒業後、アメリカンフットボールの名門アサヒビールシルバースターに入団し、社会人選手権や日本一を決めるライスボウル(日本選手権)で優勝を経験した。
協力 広島県東京事務所
(構成・杉浦泰介)