二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2025.12.11
前編 やらないという選択肢はなかった
~無理なく歩む共生社会への道~(前編)
今年10月より日本パラリンピック委員会(JPC)委員長に就任した三阪洋行氏は、車いすラグビー日本代表として、2004年に開催されたアテネ大会から3大会連続でパラリンピックに出場したパラリンピアンだ。リオ2016パラリンピック競技大会はコーチとして、初のメダル(銅)獲得に貢献した。2021年にJPCアスリート委員会委員長、2023年にはアジア・パラリンピック委員会(APC)のアスリート委員長及び理事に就いた。選手、指導者、委員会の幹部として職務を経験してきた三阪氏に共生社会実現への思いを訊いた。
二宮清純: スポーツ庁長官に就任された河合純一さんの後任としてJPCの委員長に就きました。その経緯をお聞かせください。
三阪洋行: 日本パラスポーツ協会の森和之会長と河合さんとお話をする機会があり、そこでまず河合さんの人事の話を聞き、後任というかたちで「引き受けてくれないか」と言われました。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): お引き受けすることに迷いはありませんでしたか?
三阪: 自分にこの役職が務まるのかという葛藤はありました。ただ私は2021年にアスリート委員会委員長に就き、以降JPCの運営にも携わってきました。それまでは自分が経験してきた車いすラグビーを中心にやってきましたが、もう少し全体的に関わらせていただくようになり、JPC職員の皆さんとも接点を持っていました。その4年間の経験があったので、JPCの責任ある立場に就くことに対して抵抗はありませんでした。ただ、私が一番心配だったのが、まだ自分が経験不足という点です。
二宮: JPC委員長に就くにはまだ早い、と?
三阪: そうですね。私自身、描いていたのは、もう少し先、例えばロサンゼルス2028パラリンピック競技大会以降に、JPC委員長に限らず、これまでよりも協会や委員会の指揮を執る立場に関われる機会があるならば挑戦したいと思っていました。ただ河合さんと話をする時間をたくさんいただき、河合さんご自身のJPC委員長の職を受けた経緯、やってきたことをお聞きしました。私が河合さんから言われて、一番心を動かされたのは、やはりアスリート出身の人間がこの役割を担うことの意味です。だから、できるかできないかを考えるよりも、やるかやらないかで決めました。私の中でやらないという選択肢はなかったので、引き受けようと決心しました。
【別府視察での学び】
二宮: パラリンピック競技を統括するJPCの委員長になったからには、様々な競技に目配せをしなければなりません。例えば三阪さん自身がご覧になったことがない競技もあったんじゃないでしょうか?
三阪: その通りです。11月中旬に、大分国際車いすマラソンに視察に行きました。これまでパラスポーツに関わっておきながら初めての観戦でした。この目で見て、改めて感じたのは、人・まち・企業がつながりを深くもった歴史ある大会だということ。まちの理解はもちろん、自治体の支援もある。企業が応援してサポートする体制が40回以上も続いている。大会創設者の中村裕先生がイメージされてきた姿がどんどん実現しつつあると感じました。また中村先生が設立した別府市内にある社会福祉法人「太陽の家」では、「障がいがあるからといって甘えるな。納税者になるんだ」という理念が根付いています。今回の訪問で改めて、そのことを実感しました。
二宮: 太陽の家は、中村先生が「保護より働く機会を」をモットーに設立しました。私も現地を取材したことがあります。障がいのある人が働いて納税者となり、自立して暮らしていく。それがまちにとってもいい循環になるという考えですね。
三阪: 現在、肢体障がい者の割合が減ってきている中、発達障がいや精神障がいの方が増えてきている。太陽の家では、そういったニーズにも柔軟に応えていくフェーズに来ているという話を聞きました。様々な障がいに対し、柔軟に対応しようとする姿勢が、あれだけ長く続いている所以かなと感じましたね。日々、歩みを止めず、新しいことにチャレンジする姿勢は見習うべきものがあると思いました。
伊藤: 他競技や他団体からも得られるものはたくさんありますね。
三阪: その通りです。アスリート委員長になって以降、パラリンピックを通して視察で色々な競技を見る機会が増えました。ゴールボールや陸上競技を観に行き、自分とは違う障がいのある選手、義手、義足の選手たちとの接点も少しずつ増えていきました。元々、スポーツは好きだったので、観る側の視点で気付いたことがありましたし、当事者に直接話を聞くことで、それぞれが抱える課題も知りました。これまで私は、アスリート目線と、アスリートを通して、課題解決に努めてきたつもりです。今回のJPC委員長就任も、その取り組みの延長線上にあるものだとも考えています。なので、私はこれまで経験してきたこと、取り組んできたことを、強みとして生かしていきたいと思っています。
(後編につづく)
<三阪洋行(みさか・ひろゆき)プロフィール>
日本パラリンピック委員会委員長。1981年、大阪府出身。高校生の時にラグビー練習中の事故で頚髄を損傷し、車椅子生活となる。8カ月間の入院生活後、車いすラグビーと出会い、4年後には日本代表に選出された。アテネ2004パラリンピック競技大会、北京2008パラリンピック競技大会、ロンドン2012パラリンピック競技大会と3大会連続でパラリンピックへ出場。ロンドン大会では副主将を務め、4位入賞という好成績を収めた。引退後は日本代表のアシスタントコーチを務め、リオ2016パラリンピック競技大会に出場。日本初となる銅メダル獲得に貢献した。2021年にはアジア・パラリンピック委員会(APC)の理事とJPCのアスリート委員長に就いた。今年10月から現職に。
日本パラリンピック委員会
(構成・杉浦泰介)






