二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2025.09.11
前編 東京大会のレガシー
~"いつでも、どこでも"スポーツできる環境を~(前編)
公益社団法人東京都障害者スポーツ協会は、<障害のある人の生涯スポーツの実現>に向け、様々な事業を通してパラスポーツを支援している。2022年6月から会長を務める延與桂氏に協会の取り組みについて訊いた。
二宮清純: 以前、このコーナーに登場していただいたのは2018年11月。当時は東京都オリンピック・パラリンピック準備局次長として、2020年に開催予定だった東京大会の準備に奔走されていました。
延與桂: あれから約7年ですか。1年延期、無観客など本当にいろいろなことがありました。当時を振り返ると、ジェットコースターのような日々でした。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 3年前から東京都障害者スポーツ協会会長として、パラスポーツ振興に尽力されています。
延與: ご縁があって前任の白石弥生子会長から引き継ぎました。東京パラリンピックを通じてパラスポーツの素晴らしさを感じていたので、これからも関われることになり、とてもうれしかった。実際に仕事をしてみて、草の根のスポーツの現場で、障害のある人たちがいろいろなレベルのスポーツに挑戦している姿を見てきました。改めてスポーツの力を実感し、ますますのめり込んでいます。
二宮: 2021年に開催した東京オリンピック・パラリンピックを契機に、ハード面もだいぶ整備されてきましたね。
延與: おっしゃる通りですね。多くの駅にホームドアが設置されました。視覚障がいのある人の転落リスクが軽減したのは、とても良かったと思います。
二宮: 酔っ払いの転落事故も減ったと聞きました。
延與: そうですね。ハード面に関して言えば、東京大会の時に国がアクセシビリティガイドラインを作成し、競技施設の基準を設けました。競技施設に競技用の車いすが、すれ違って方向転換できるほどのスペースを確保することや、エレベーターもたくさんつくらなければならなかった。この基準をそのまま一般の施設に適用するのは、ややハードルが高かった。ところが数年前、大阪・関西万博がアクセシビリティの計画を出した時、"東京大会の水準を下回っている"と批判され、計画をつくり直すことになったそうなんです。私は東京大会開催が、国内の施設に求められる水準を引き上げたものと思っています。
二宮: 今後の国際的イベント開催時にも、このバリアフリー基準がベースになるでしょうね。これから先、高齢化は進んでいくでしょうし、インバウンドも増えるわけですからね。施設の設備が整うことで、利益を享受するのは障害のある人だけではありません。
延與: おっしゃる通りです。現在開催中の大阪万博に、私は母を車いすに乗せて行ったのですが、エレベーターがあったことで移動がスムーズになった。これは車いす利用者のみならず、ベビーカーを利用している親子連れの方にも役立っていた。大きな荷物を持っているインバウンドの方々も助かるでしょうね。
【"成仏"した嫉妬心】
伊藤: ところで延與さんは2024年夏に行われたパリパラリンピックの大会ボランティアに参加されたそうですね。
延與: はい。2012年のロンドン大会でボランティアの方々がとても楽しそうに参加していたのを見て、私もボランティアとして参加してみたいと思っていたんです。それでパリ大会に応募し、車いすバスケットボールの会場でプレス対応を担当することができました。今回、日本からパリ大会のボランティアに、私が知っているだけで80人ぐらいが参加しました。その多くが東京大会でボランティアを経験した人たち。中には、この秋に東京で開催するデフリンピック、来年の名古屋でのアジアパラ競技大会にもボランティア参加を希望している人がたくさんいます。
二宮: ボランティア文化が少しずつ根付いてきている証拠でしょうね。
伊藤: 6年前にインタビューさせていただいた時、大会ボランティアが、どれだけ集まるかわからない状況で、短時間で自分のペースで参加できるボランティアの"ちょいボラ"を推奨していました。それを考えると、現在の状況は隔世の感がありますね。
延與: これが東京大会のレガシーでしょうね。ボランティアを経験した人の中には、パラスポーツに夢中になり、障害者スポーツ指導員や審判員の資格を取った人もいます。
二宮: 実際、パリ大会でボランティアを経験してみて、いかがでしたか?
延與: 雰囲気が素晴らしかった。また大会における日本選手団の活躍のおかげで、日本から来た我々もとても盛り上がりました。実はパリ大会の盛り上がりに対し、東京大会の関係者には嫉妬心があったと思うんです。新型コロナウィルス感染拡大を防止するため、無観客開催という厳戒態勢での実施となった。だから、有観客で盛大に開催されたパリ大会を見ると、"自分たちだってもっと盛り上がれたはずなのに......"と悔しい思いを余儀なくされた。でも、そんな気持ちはパラリンピックの素晴らしさやパリ大会に関わる人たちの笑顔、日本選手団の活躍を見ているうちに、スーッと浄化されていきました。"本当に東京大会を頑張ってやり遂げて良かった"と思えたんです。私のような思いを抱えていた人はたくさんいて、パリ大会でスッキリして帰ってくることを"成仏"と呼んでいます。
二宮: なるほど"成仏"ですか。
延與: パリ大会で活躍した選手の中には、東京大会をきっかけに競技を始めた人や競技環境が改善されて成績を上げた人がいました。東京大会で蒔かれた種が、パリ大会で花開いた。また東京大会開催はトップアスリートだけでなく、一般の障害のある人にも大きな影響を与えたと思います。
伊藤: 具体的には?
延與: スポーツ実施率が向上したことです。東京都は50%を目標にしています。これは重度の方から軽度の方まで様々な障害を含めた上での数字です。東京大会前は30%台でした。私は"50%到達は簡単ではない"と思っていたんですが、2024年に都が実施した調査で46.3%にアップした。今年1月に発表された調査では46.6%。最近は都内のスポーツイベントで、パラスポーツが組み込まれることも珍しくなくなってきました。もちろんトップアスリートの活躍も素晴らしいことですが、障害者スポーツの裾野が広がったことが私は大事だと思っています。東京都障害者スポーツ協会としても、このいい流れを切らさないようにしたいと考えています。
(後編につづく)
<延與桂(えんよ・かつら)プロフィール>
東京都障害者スポーツ協会会長。1961年、東京都出身。1984年、東京大学教育学部卒業、同年4月に入都し、衛生局に配属。生活文化局女性青少年部副参事、知事本局参事、港湾局参事など経て、2012年4月よりスポーツ振興局競技計画担当部長に就任。オリンピック・パラリンピックの招致活動に携わる。2014年1月にはオリンピック・パラリンピック準備局大会準備部長に就き、2017年1月に同局の理事としてパラリンピック準備調整担当を務める。2018年4月から次長に就任。パラリンピック準備調整担当と大会運営調整担当を兼務した。2021年10月にオリンピック・パラリンピック準備局長を務め、2022年3月に退職。同年6月から東京都障害者スポーツ協会会長に就いた。
(構成・杉浦泰介)