二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2010.08.26
第4回 アスリートからビジネスマンへ
~障害者スポーツと企業のかかわり~(4/4)
二宮: 今後もマルハンとしては障害者スポーツに力を入れていくお考えですか?
韓: そうですね。今回、狩野くんもよく頑張ってくれて、社内でも大きな影響を与えてくれました。金メダルという結果以上に、彼が努力している姿に多くの社員が勇気づけられたようです。バンクーバーパラリンピックを通して、改めてスポーツが与える影響の大きさや、支援することの意味合いを痛切に感じることができました。
狩野くんは、これからは金メダリストとして追われる立場になるわけですから、プレッシャーもかかってくることでしょう。彼が競技に専念できるように、我々も全力でサポートしていきたいと思っています。
二宮: これだけのバックアップがあるというのは、心強いでしょう。
狩野: はい、とてもありがたいと思っています。もう、僕としては「やるだけだな」という気持ちです。
二宮: 狩野選手はまだ24歳ですから、ソチ大会はもちろん、8年後のパラリンピックも狙えるのでは?
狩野: そうですね。チェアスキーでは40代半ばくらいの選手でも世界の第一線で活躍しているので、僕自身もまだまだ成長できると思っています。
二宮: 経験によって技術はどんどん上達していきますからね。
狩野: はい。特にアルペンスキーは経験がモノをいう競技ですので、ピークも30代半ばくらい。あとは気力と体力次第だと思っています。
二宮: ソチでは連覇という楽しみがありますが、韓社長も応援に行かれる予定ですか?
韓: はい、もちろん行こうと思っていますよ。今回バンクーバーに行ってみて、現地でしか感じることのできないものがたくさんあることを知りましたからね。それに、見守ってきた選手たちの活躍を見られるのは、本当に嬉しいことですから。
現役引退後も一流であれ!
二宮: 狩野選手はまだお若いですから、少し先の話になってしまいますが、現役生活を終えた選手たちについて、マルハンではどのように考えていらっしゃいますか?
韓: 狩野くんにも既に伝えてありますが、私としては引退後もマルハンの社員として残ってもらいたいと思っています。今度はビジネスマンとして一流になってほしいという希望を抱いています。
また、彼には障害者アスリートの環境を改善したいという強い気持ちがあります。今は競技者としてやれることをやっていると思いますが、引退した後もそういう部分で一役担う人材になってくれればいいなと思っています。
二宮: 狩野選手自身はどうですか?
狩野: 自分自身にそこまで期待していただけるというのは、本当に幸せなことだと感謝の気持ちでいっぱいです。韓社長の期待に応えるためにも、現役の今から、引退後の自分に何ができるかを考えていこうと思います。
二宮: アルペンスキー界としては、狩野選手に指導者としての期待も抱いているのでは?
韓: もちろん、指導者としてやっていくということも十分に考えられますよね。それはそれで応援したいと思っています。私としては、今回のバンクーバーで活躍したことで社内でもそうであったように、人に影響を与えるような存在になってほしいのです。そしてまた、狩野くんならきっとやってくれるだろうと思っています。
(おわり)
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<狩野亮(かのう・あきら)プロフィール>
1986年3月14日、北海道網走市出身。小学3年の時に交通事故で脊髄を損傷。両足が不自由となり車椅子の生活となる。小学5年からスキー指導員の父親の指導のもと、チェアスキーに親しむ。98年長野パラリンピックに影響を受け、本格的に競技を始めた。
岩手大学在学中の2006年、トリノパラリンピックに出場。08年にマルハンに入社。2度目のパラリンピックとなった今年のバンクーバー大会では滑降で銅メダル、スーパー大回転で金メダルに輝いた。
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◇SITSKIER 狩野 亮
<韓裕(はん・ゆう)プロフィール>
1963年4月17日、京都府出身。株式会社マルハン代表取締役社長。京都商業高校時代にはレギュラーとして夏の甲子園に出場し、準優勝に輝く。法政大学卒業後、株式会社地産に入社し、90年には現在のマルハンに入社。営業統括部長、常務取締役、代表取締役副社長を歴任し、08年に現職に就任した。
(構成・斎藤寿子)