二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.10.27
第4回 ひとつのスポーツとして見てほしい
~第一人者が創る電動車椅子サッカーの未来~(4/4)
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長):先月18日にリオデジャネイロパラリンピックが終わりました。北沢選手は大会をご覧になっていましたか?
北沢洋平:もちろん観ていました。電動車椅子サッカーはパラリンピックの正式競技には入っていませんが、ああいう大きな舞台に立ちたいという思いは持っています。
二宮清純:リオ大会では、障がい者サッカーの競技からブラインドサッカー(視覚障がい者5人制サッカー)とCPサッカー(脳性まひ者7人制サッカー)の2競技が行われました(※)。電動車椅子サッカーをパラリンピック競技に入れようという動きはあるのでしょうか?
※CPサッカーは東京大会の競技からは外れる
北沢:東京大会にも正式競技に立候補しましたが、叶いませんでした。
伊藤:正式競技になるには競技人口などの条件があると伺いました。
北沢:そうですね。アジアでもっと広まればという話は出ています。アジアはチーム数が少ないんです。来年の第3回ワールドカップでも予選は行われず、日本とオーストラリアが出場します。
二宮:中国、韓国で普及はしていないのでしょうか?
北沢:韓国は少しやっているそうですが、そこまで広がってはいないようです。競技人口は欧米が多く、最近ではブラジル、アルゼンチンにも広まってきたので、やはり課題はアジアですね。そこがクリアできればパラリンピックも目指せるんじゃないかと思います。
伊藤:2020年の正式競技には間に合いませんでしたが、東京開催ですからデモンストレーションなどができれば、競技の認知拡大につながりますよね。
北沢:そうですね。今年4月からは日本サッカー協会(JFA)の傘下に入っているので、今がチャンスなのかなとは思っています。
【同じユニホームで戦いたい】
二宮:北沢選手は日本障がい者サッカー連盟設立会見に電動車椅子サッカー選手の代表として出席するなど、競技の顔的存在です。発言力も大きいと思われます。
北沢:どうですかね(笑)。でも日本障がい者サッカー連盟会長の北澤豪さんも同じ「キタザワ」なので、何かの縁かなと思っています。
伊藤:これを使わない手はないですよ(笑)。それに強いチーム、強い選手の発言は影響力があります。例えばリオパラリンピックでボッチャ日本の代表チームが銀メダルを獲ったことで、"すごいスポーツがあるな"と、今まで興味のなかった人も理解しようとしてくれている。今はすごく重要な時期ですよね。
北沢:やはりまだまだ電動車椅子サッカーを知らない人が多いので、僕の発言が競技の周知に繋がればいいですね。
伊藤:今後、電動車椅子サッカーを観戦しようと思っている人に伝えたいことはありますか?
北沢:重い障がいがあっても電動車椅子ひとつでできるスポーツです。華麗なプレーはなかなか見せられないかもしれませんが、やはりプレーするところを見て感じてもらいたいです。ただ、僕は「苦労しているのに頑張っているな」という目ではあまり見てほしくない。応援していただけることはありがたいのですが、障がいを抱えていることだけで「大変だけど頑張ってね」みたいに言われることが、あまり好きじゃないんです。
二宮:ちゃんとスポーツとして見て、評価してもらいたいと。
北沢:そうですね。見ていただいた人たちに勇気を与えられるのはいいことだなと思うんです。でもやっぱり電動車椅子サッカーをひとつのスポーツとして、電動車椅子サッカー選手をひとりのアスリートとして見てもらいたい。そして、たくさんの人に見て欲しいです。
二宮:そのためにも日本障がい者サッカー連盟の7団体(※)が一蓮托生となっていく必要がありますね。
※日本電動車椅子サッカー協会、日本アンプティサッカー協会、日本CPサッカー協会、日本ソーシャルフットボール協会、日本知的障がい者サッカー連盟、日本ブラインドサッカー協会、日本ろう者サッカー協会
北沢:ええ。今後は7団体で合同イベントができればいいなと思っています。なかなか社会にアピールする機会がないので、そこはJFAの力も使ってできれば、さらに競技人口が増えていくのかなと。
伊藤:JFAが各団体の普及活動を支援すると言っています。JFAと各障がい者サッカー団体が同じ方向を向いて活動していく象徴的なことに、全ての団体の日本代表が「同じユニホームを使う」という話がありますね。北澤会長もそうおっしゃっていて、実際に調整も進めているそうですが、来年のW杯で実現すればいいですね。
北沢:僕は今32歳なので次のW杯が日本代表にチャレンジできる最後のチャンスかもしれない。ぜひ同じユニホームを着て来年のW杯に出たいと思っています。
(おわり)
<北沢洋平(きたざわ・ようへい)>
1984年3月14日、東京都生まれ。6歳の時、筋ジストロフィーと診断される。小学5年で電動車椅子サッカーを始める。95年に東京のクラブチーム・レインボーソルジャーを結成し、主力選手として日本選手権5度の優勝を経験する。日本代表では2007年日本大会(4位)、11年フランス大会(5位)と2度のW杯に出場し、チームの主力としてプレーした。13年には第1回APOカップ(アジア太平洋オセアニア選手権)で優勝。PwCあらた有限責任監査法人に所属。
※競技の映像をこちらから見ることができます。(映像/日本電動車椅子サッカー協会)
(構成・杉浦泰介)