二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2026.02.12
前編 「自分らしく頑張っていく」
~誰もが自分らしく生きられる社会を~(前編)
2015年10月1日に文部科学省の外局として設置されたスポーツ庁。設立から10年が経った昨年10月、日本パラリンピック委員会(JPC)委員長の河合純一氏が第3代スポーツ庁長官に就任した。過去2人の長官はオリンピック金メダリストだったが、今回が初のパラリンピック金メダリストだ。河合長官が見据える日本のスポーツの未来とは――。
二宮清純: 最初にスポーツ庁長官任命の話があった時の心境は?
河合純一: 「僕ですか?」という驚きの方が大きかったです。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): それは、なぜでしょうか?
河合: 次の長官は女性ではないかという話が出ていましたし、私自身もそう考えていました。また、当時私はJPCの委員長として、次のミラノ・コルティナ冬季パラリンピックやロサンゼルス夏季パラリンピックに向け、いろいろ準備をし始めていたところでしたから。それで、"まさか自分とは"となったんです。
二宮: 引き継ぎに際しては、前任の室伏広治さんからもお話があったんですか?
河合: はい。引き継ぎ書なるものがあり、それを読み上げていただきました。元々、JPC委員長という立場からスポーツ庁とは、様々なことで関わってきていました。おおよそのところは知っていました。スポーツ庁にも優秀な職員の方がたくさんいるので、皆さんから教えを受けながら、ここまで着々と業務を進めている感じですね。
二宮: 長官に就任した時の会見で「バトンというより、重たいハンマーを受け取った気持ち」と、気の利いたコメントを残しました。
河合: 寝ずに考えましたから(笑)。それは冗談ですけど。
二宮: アハハハ。今年は2月から3月にかけて冬季オリンピック・パラリンピックがあり、その後は野球のWBC、サッカーのW杯、愛知・名古屋でのアジア競技大会、アジアパラ競技大会とビッグイベントが目白押しです。スポーツのビッグイヤーということでスポーツ庁もやるべき仕事もたくさんあるでしょう。河合さんご自身は、任期の間に、まずこれだけはやっておきたいということは?
河合: まず1つは当然、今おっしゃったミラノ・コルティナのオリパラや、愛知・名古屋のアジア競技大会、アジアパラ競技大会などで、すべてのアスリートが活躍できる環境を整えることです。同時に、特に日本で開催のアジア競技大会とアジアパラ競技大会の機運醸成にも全力をあげて取り組んでいきたいと思っています。もう1つは中学校の部活動改革。地域展開を、この4月から6年間で実行していきます。その初年度にあたりますので、各地方や各地域に応じた実施体制を支援していきたい。
【"フルーツポンチ型"が理想】
二宮: 5年前、JPC委員長に就任したばかりの河合さんは「私は物事をサクサクと捌いていくタイプなので、快く思ってない人がいるかもしれません。でも、5年後、10年後にあの決断でよかったと思ってもらえるようにすることが自身の仕事だと思っています」と私に話しました。それはスポーツ庁長官となっても変わらないのでしょうか?
河合: あまり変わってないですね。当時の自分と比べたら、ちょっとだけ丸くなっているかもしれませんが......。中学校の教師をしてきた経験やJPCという統括団体での経験などを踏まえ、今後スポーツ行政を前に進めていくためには、まず各部署が「ワンチーム」になることが重要で、今まさにチャレンジしていることです。
二宮: 河合さんは共生社会について、"ミックスジュース型"と"フルーツポンチ型"の2種類があるとよく話しています。真の共生社会は個性をすり潰してひとつになる"ミックスジュース型"ではなく、フルーツポンチのようにそれぞれが形を残しながら、お互いをリスペクトし合う関係だと。先ほど「ワンチーム」と言われましたが、スポーツ行政においても"フルーツポンチ型"を志向しているわけですね。
河合: その通りです。各自治体、各スポーツ団体にもそれぞれの置かれている立場や成り立ちがあり、担っている役割があります。それをひとつにまとめ、いかに「ワンチーム」にしていくことが、我々の仕事だと考えています。
伊藤: 今のお話を聞いていて、河合さんが日本パラリンピアンズ協会の会長に就任されたばかりの頃を思い出しました。当時も「各団体が仲良くしよう」と、今のように各団体が「ワンチーム」になる必要性を話していらっしゃいました。その考えは素晴らしいなと思っていました。
河合: ありがとうございます。だから私自身は、少しも変わっているつもりはないんです。ただ、それを言った時に聞いてくれる人がだんだん増えてきたということ。いろいろな活動を通して、仲間が増えてきたと言っていいかもしれません。これからも自分らしく頑張っていきたいと思います。
(後編につづく)
<河合純一(かわい・じゅんいち)プロフィール>
スポーツ庁長官。1975年4月19日、静岡県出身。5歳で水泳を始め、パラリンピックにはバルセロナから5大会連続出場。金5個、銀9個、銅7個の計21個ものメダルを獲得した。先天性ブドウ膜欠損症で生まれつき左目の視力がなく、15歳の時に右目も失明し全盲となる。しかし、教師への夢を諦めず、早稲田大学卒業後の1998年には母校の舞阪中学に社会科教諭として赴任し、2008年からは静岡県総合教育センター指導主事を務めた。2003年にパラリンピック出場選手による選手会「日本パラリンピアンズ協会」を設立した。2016年、日本人として初めて国際パラリンピック委員会(IPC)の殿堂入りを果たす。2020年日本パラリンピック委員会委員長に就任。2025年、スポーツ庁の3代目長官に就いた。
(構成・杉浦泰介)






