二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2026.03.13
前編 JPPF創立のきっかけ
~社会を持ち上げるパワーを~(前編)
NPO法人日本パラ・パワーリフティング連盟(JPPF)は<筋肉で日本を持ち上げる>を合言葉に、競技の普及・強化に力を注いでいる。JPPFの理事長を20年間務めた後も、強化委員長兼事業委員長(ハイパフォーマンス・ディレクター)として現場に立ち続ける吉田進氏に話を訊いた。
二宮清純: 吉田さんは学生時代、京都大学で競泳をやられていたそうですね。
吉田進: 私もカミさん(寿子ハイパフォーマンス・アシスタントディレクター)も競泳選手でした。大学卒業後はゼネコンに就職し、スポーツから離れていたのですが、体を動かしたくなり、自宅の近所でバーベルトレーニングをしている人たちを見かけました。"面白そうだな"と思って入ったチームが、パワーリフティングの強豪だった。すぐに夢中になりましたが、カミさんからは「なんで早く帰ってこないの?」と叱られました。それで彼女を説得するため、彼女自身をパワーリフティングに誘ったんです。すると彼女もパワーリフティングにハマり、一緒のメンバーになりました。
二宮: そこからパラ・パワーリフティングに関わるようになるわけですが、当時の日本でパラ・パワーリフティングはあまり有名ではなかったのでは?
吉田: おっしゃる通りです。当時は障がいのある人も、私たちと同じパワーリフティングの大会に出ていましたから。仲間の中に車椅子利用者で、ベンチプレスのトレーニングをしている人が何人かいました。その人たちは国際大会にも出場できました。ところが、その国際パワーリフティング連盟がだんだん大きくなり、1990年代には、車椅子の方など障がいのある人たちの参加が認められなくなりました。車椅子、杖をついている人は出られなくなり、彼らも困っていた。
二宮: 行き場を失ったわけですね。
吉田: パワーリフティングに生きがいを持っていた仲間たちを、どうにか助けたいと考えていたところ、パワーリフティングがパラリンピックの種目にあることを知ったんです。それでカミさんが日本障害者スポーツ協会(現・日本パラスポーツ協会)に相談すると、協会への登録と、ひとつの連盟として独立するよう言われました。それで1999年、日本パラ・パワーリフティング連盟を設立しました。次第に私自身は、パワーリフティングよりパラ・パワーリフティングの方にエネルギーが向いていったというわけです。
【環境の変化への実感】
二宮: 確かパラ・パワーリフティングはウエイトリフティングと呼ばれていましたよね。
吉田: そうなんです。1964年東京大会から現在のパラ・パワーリフティングはパラリンピックの種目に採用されましたが、当時は「ウエイトリフティング」でした。現在の「パワーリフティング」という名称が使われるようになったのは、1988年バルセロナ大会からです。
二宮: パラ・パワーリフティングは、下肢障がいの選手たちと低身長選手がバーベルを持ち上げるベンチプレス競技です。車椅子利用者の方にとって、生活の延長線上にあるように感じます。
吉田: その通りです。日本代表の桐生寛子選手は、スノーボードの事故で車椅子生活となった。彼女はパラ・パワーリフティングに出会い、上半身を鍛えることによって日常生活の行動範囲が広がったと聞きました。
二宮: その意味では競技性に加え、リハビリ効果もあると。
吉田: 障がいの有無に関わらず、筋肉が付くことによって、引っ込み思案だった人が前向きになる効果があるとも言われています。
二宮: JPPF設立から25年以上が経ち、認知度は高くなってきましたか?
吉田: そうですね。ゆっくり、ゆっくりとではありますが感じています。2021年の東京パラリンピックの影響は大きかったと思います。それまではパラ・パワーリフティングの選手が自分でトレーニングジムを探しても、練習できる場所がほとんどなかった。今はなんとか見つけられるようになりました。また合宿で宿泊するホテルにバリアフリールームが1室は必ず、設けられるようになってきた。駐車スペースを含め、環境はじわじわ良くなっている印象があります。だけど、まだまだ足りません。そのために必要なことは教育だと考えています。
二宮: 具体的には?
吉田: 子どもたち向けに体験会を実施する際、日本代表選手も1、2人連れて行きます。そうすると小学校低学年くらいの子どもたちは遠慮なく、「どうして足が動かなくなっちゃったの?」と聞いてくる。要するに分け隔てがないんです。そこが共生社会実現のヒントだと思うんです。子どもたちには、彼らが持つ分け隔てのなさを変わらずに持ち続けて欲しい。そういう教育が必要で、それが共生社会への第一歩だと考えています。
(後編につづく)
<吉田進(よしだ・すすむ)プロフィール>
NPO法人日本パラ・パワーリフティング連盟ハイパフォーマンス・ディレクター。1950年9月26日、東京都出身。都立立川高校、京都大学は水泳部に所属。大学時代、トレーニングの一環としてウエイトトレーニングに取りつかれ、大学卒業後、本格的にパワーリフティングの道に進む。全日本パワーリフティング選手権5度優勝。1984年、妻・寿子と府中市で「パワーハウス・ウエイトトレーニングクラブ」をスタート。多くの世界チャンピオン、日本チャンピオンを輩出した。2000~2015年は国際パワーリフティング連盟常任理事、アジアパワーリフティング連盟会長。2000年からの20年間、日本パラ・パワーリフティング連盟理事長を務めた。兼務していた強化委員長ならびに事業委員長を続投。2022年からハイパフォーマンス・ディレクターに就任した。著書に『パワーリフティング入門』(体育とスポーツ出版社)などがある。
(構成・杉浦泰介)






